Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

東貞常

東 貞常(とう さだつね、生年不詳(1273年以後)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 系図集や書状類では全く確認できないが、東氏の末裔(東益之の子、東常縁の異母弟)である建仁寺住持・正宗龍統*1が書き記した次の史料により、僧・素𦨻*2の父…

東時常

東 時常(とう ときつね、1253年?~1312年?/1314年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称は六郎。官途は中務丞(『尊卑分脈』)、左衛門尉。 【東氏系図】『尊卑分脈』より 千葉常胤―東胤頼―重胤―胤行―行氏―時常 父は東行氏。初めは第7…

千葉貞胤

千葉 貞胤(ちば さだたね、1292年~1351年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。千葉氏第11代当主。千葉胤宗の嫡男。子に千葉一胤(高胤)、千葉氏胤。通称は千葉介。 貞胤の死没については、次の史料が伝わる*1。 ●『常楽記』:観応二年辛卯正月一日、千葉介…

千葉宗胤

千葉 宗胤(ちば むねたね、1265年~1294年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第9代当主。通称は千葉太郎*1。 はじめに 元服の時期と烏帽子親の推定 備考 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 建治元(1275)年8月、異国警固番役…

千葉頼胤

千葉 頼胤(ちば よりたね、1239年~1275年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第8代当主。通称は千葉介。 父は千葉時胤。後述の通り異説もあるが、母は北条時房の娘と考えられている*1。息子に千葉宗胤、千葉胤宗。 人物の詳細については本文末の 外…

武田時綱

武田 時綱(たけだ ときつな、1245年~1307年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。甲斐武田氏第5代当主。通称は六郎。『甲斐信濃源氏綱要』によれば父は武田信時、母は右馬権頭頼茂(=源頼茂か)の娘。子に武田信宗。 【史料】「甲斐信濃源…

武田信時

武田 信時(たけだ のぶとき、1220年~1289年)は、鎌倉時代前~中期の武将。甲斐武田氏第4代当主。父は武田信政。子に武田時綱。通称は武田五郎次郎。 【史料】「甲斐信濃源氏綱要」*1 信時の注記より一部抜粋 ……後堀川院寛喜元年正月十五(年十)、加冠平…

京極貞宗

佐々木 貞宗(ささき さだむね、1287年~1305年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木氏の第3代当主で、京極貞宗(きょうごく ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』によれば、佐々木宗綱の3男。長兄…

名越貞宗

北条 貞宗(ほうじょう さだむね、生年不詳(1280年代後半?)~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 本項では名越流北条宗長の息子(通称:備前四郎、備前掃部助)について扱う。 北条氏一門では他に大仏流北条維貞(の初名)およびその息子が「貞宗」…

小山宗長

小山 宗長(おやま むねなが、1264年頃~1307年?)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は五郎。左衛門尉。父は小山時長、母は宇都宮泰綱の娘。(以上『尊卑分脈』より) 残念ながら、宗長については史料があまり残されておらず、その活動内容は…

小山貞朝

小山 貞朝(おやま さだとも、1282年~1330年)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。鎌倉幕府の御家人。 父は小山宗長。母は武田三郎入道(=政綱か)の娘(白河集古苑所蔵「結城系図」)*1。通称および官途は 小四郎、左衛門尉、下野守。 生没年について…

松葉実宗

松葉 実宗(まつば さねむね、1204年~1231年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。 『平賀家文書』所収「平賀氏系譜」 *1によると、父は松葉資宗(助宗)。同系譜に母の記載は無く、わざわざ書かれている弟の松葉(平賀)惟泰(母:大中臣惟重の娘)、平賀惟時(…

平賀惟時

平賀 惟時(ひらが これとき、生年不詳(1230年代後半?)~1304年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称および官途は 三郎(新三郎)、左衛門尉(三郎左衛門尉)。 『平賀家文書』所収「平賀氏系譜」 *1によると、父は松葉資宗(助宗)、母は天野政景の娘*2…

平賀惟泰

平賀 惟泰(ひらが これやす、1212年~1295年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。 父は松葉資宗(助宗)、母は大中臣惟重の娘。兄に松葉実宗(朝宗)、弟に平賀惟時がいる。松葉惟泰、平賀泰重とも。 『平賀家文書』所収「平賀氏系譜」 *1での注記の内容を整理す…

【特集】北条氏一門の得宗からの偏諱拝領者について①

系図類で北条氏一門の人名を眺めてみると、本家筋たる得宗から偏諱を受けた者が多く見られる。 先月は、『尊卑分脈』北条氏系図*1に見える人物を主に取り上げて、一字を拝領したとみられる者を紹介した。 2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧 - Henkipedia hist…

大仏貞房

北条 貞房(ほうじょう さだふさ、1272年~1309年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。大仏流北条氏の一族で、昨今の研究上では大仏 貞房(おさらぎ ー)、坂上 貞房(さかのうえ? / さかうえ? さだふさ)*1とも呼ばれるが、実際は佐介 貞房(さすけ ー)と呼…