Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

小笠原貞宗

小笠原 貞宗(おがさわら さだむね、1292年頃~1347年)は、鎌倉時代後期から室町時代前期の武将。信濃小笠原氏の当主。信濃守護。仮名は彦五郎。官途は信濃守。 ▲『集古十種』に掲載の小笠原貞宗卿 木像(鎌倉禅巨庵蔵) 幼名は豊松丸。今野慶信氏がご紹介…

小笠原宗長

小笠原 宗長(おがさわら むねなが、1272年~1333年カ)は、鎌倉時代後期から室町時代前期の武将。信濃小笠原氏の当主。父は小笠原長氏、母は伴野長房(長泰の誤りか)の娘と伝わる。 北条時宗の烏帽子子 当主としての活動 脚注 北条時宗の烏帽子子 今野慶信…

五大院宗繁

五大院 宗繁(ごだいいん むねしげ、1270年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武士、御内人(得宗被官)。通称は五大院太郎右衛門尉か。 軍記物語であるが『太平記』の次の部分に宗繁なる人物が登場する。 【史料1】『太平記』巻11「五大院右衛門宗繁賺相摸…

五大院高繁

五大院 高繁(ごだいいん たかしげ、1304年頃?~1333年カ)は、鎌倉時代後期の武士、御内人(得宗被官)。実際の史料で確認できる通称は五大院右衛門太郎。妹は北条高時の側室・常葉前(ときわのまえ)。 生年と烏帽子親の推定 高繁の最期 五大院氏について 脚…

普音寺高基

北条 高基(ほうじょう たかもと、1316年頃?~1333年)は鎌倉時代末期の武将。普音寺流北条氏の一門。第13代執権・北条基時(普音寺基時)の子で、普音寺高基/普恩寺高基(ふおんじ ー)とも呼ばれる。 まずは次の史料をご覧いただきたい。 【史料1】 (年…

摂津高親

摂津 高親(つ の たかちか*1、1306年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武士・吏僚、得宗被官(御内人)。摂津親鑒の嫡男。官途は宮内大輔。 史料上における摂津高親 高親の子・摂津時親 摂津氏歴代の任官年齢 北条高時の烏帽子子 脚注 史料上における摂津高…

戸次高貞

戸次 高貞(べっき/へつぎ たかさだ、1305年頃?~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の人物。 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1 上表に示した通り、高貞が元…

葦名高盛

葦名 高盛(あしな たかもり、1318年~1335年)は、鎌倉時代末期の武将。 葦名盛貞(盛員とも)の最初の嫡男。蘆名高盛、芦名高盛とも書く。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 【史料A】『会津四家合全』黒川小田山城主佐原十郎義連家系之事*1 より一部抜粋 …

安藤高季

安藤 高季(あんどう たかすえ、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての陸奥国の武将、御内人。幼名は犬法師。通称は安藤五郎太郎。父は安藤宗季。 北条高時の烏帽子子 安藤師季 脚注 北条高時の烏帽子子 【史料1】正中2(1325)年9月…