葛西氏
はじめに:2つの葛西氏系図 鎌倉時代:清時流葛西氏の創設と嫡流継承 室町・戦国時代 葛西持信・朝信の実在 戦国時代の内部抗争 仙台系系図編纂の作為的な意図 江刺氏と仙台系系図 葛西武蔵守宗清 仙台系系図の作成 盛岡系系図に関する考察 葛西持信から政信…
葛西 清時(かさい きよとき)は、鎌倉時代中期の御家人。『吾妻鏡』に葛西氏の一族と思しき2名の清時が確認でき、以下両者について触れる。 葛西清親の子。通称は伯耆新左衛門尉。仮名は五郎か。 葛西清親の孫。父は葛西時清または葛西光清とみられ、母は千…
葛西 時員(かさい ときかず、1260年代?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 葛西清宗の長男か。その場合、葛西清貞、葛西伊豆四郎入道(※実名不詳)*1は弟となり得る。通称および官途は太郎(伊豆太郎)、左衛門尉。 葛西氏の系図上では見られな…
葛西 清宗(かさい きよむね、1255年頃?~1325年頃?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 系図では葛西清経の子とされる(「仙台葛西系図」)が、葛西清員(きよかず)の子とも考えられる。妻は大曽祢盛経の娘。子に葛西時員、葛西清貞、葛西伊豆四郎入道(※実…
葛西 朝清(かさい ともきよ、1204年頃?~1257年?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。葛西清重の子。子に葛西左衛門次郎(=葛西清員(きよかず)か?*1)がいる。通称は六郎、壱岐六郎左衛門尉。 清重の子・朝清の活動 朝清の烏帽子親について…
葛西 清貞(かさい きよさだ、1275年頃?~1350年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。葛西清宗の子。通称および官途は 三郎(伊豆三郎)、兵衛尉、武蔵守。法名は円蓮(えんれん)。 2種類の葛西氏系図と清宗・清貞父子 葛西清重・清親父子の任官…
葛西 時清(かさい とききよ、1215年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期~中期の武将、御家人。葛西氏宗家第3代当主。通称および官途は 小三郎、三郎、左衛門尉。 父は葛西清親。弟に葛西光清(みつきよ)。子に葛西清経、女子(長尾景茂室、景忠母)*1。 "伯耆…
葛西 清経(かさい きよつね、1235年~1287年)は、鎌倉時代中期~後期の武将、御家人。葛西氏宗家第4代当主。通称および官途は 三郎、左衛門尉(伯耆新左衛門尉)。法名は経蓮(きょうれん)か。父は葛西時清。妻は尼・仏心。子には、女子(富安三郎〈北条時嗣…
葛西 高清(かさい たかきよ、1312年~1365年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての武将。 系図類によると、葛西貞清の長男。母は長崎円喜の娘。通称および官途は 八郎、左衛門尉、陸奥守、因幡守 と伝わる。 まず、次の系図2種を見ておきたい。 …
葛西 貞清(かさい さだきよ、1291年~1324年)は、鎌倉時代後期の武将。通称および官途は 又太郎、左衛門尉。法名は道西。 系図によると、父は葛西清信(千葉頼胤の子で葛西清時の養嗣子、初名: 胤信)、母は本間景隆(山城守)の娘と伝わる。 まずは、次の…
葛西 宗清(かさい むねきよ、1264年頃?~没年不詳(1305年以降))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葛西氏宗家第5代当主。仮名は三郎。官途は左衛門尉、のち壱岐守か。葛西清経の嫡男とされる。 『勘仲記』を見ると、弘安7(1284)年12月9日…