Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧

中条頼平

中条 頼平(ちゅうじょう*1 よりひら、旧字表記:中條賴平、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1280年代?))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。主な通称は 弥藤次左衛門尉、出羽大夫判官。 『吾妻鏡』における中条頼平 中条頼平に関する他の史料 中条氏系図…

【論稿】中世前半期の横山党中条氏について

鎌倉時代の中条氏 南北朝時代の中条氏 室町時代の中条氏 中条詮秀と満秀・満平 中条持保と中条持平 中条氏当主の世代推定 中条詮秀以降 中条秀長・秀孝 中条景長・時長 中条家長・家平・頼平 脚注 鎌倉時代の中条氏 中条氏は、武蔵七党の一つで小野篁の末裔…

【論稿】祖先に名字を求めるということ ―近衛・津軽両家を例に―

津軽氏と近衛氏 明治期近衛家の「麿」字について 祖先にあやかった名付け 備考 脚注 津軽氏と近衛氏 江戸時代の話である。 天明2(1782)年、陸奥国黒石領主・津軽著高の長男は、慣例により本家の弘前藩7代藩主・津軽信寧より「寧」の偏諱を受け、寧親(やすちか)…

吉良貞義

足利 貞義(あしかが さだよし、1270年頃?~1343年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。三河国西条城主。足利(吉良)満氏の子。通称および官途は弥太郎、上総介。法名は省観。吉良貞義(きら ー)とも呼ばれる。 吉良貞義に関する史料 生年・世…

吉良貞氏

足利 貞氏(あしかが さだうじ、1270年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。足利(吉良)満氏の子。通称は足利上総三郎。足利宗家にも同名の人物がおり*1、『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記)で「吉良三郎」と注記されることから、吉良貞氏(きら …