Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

長井貞頼 (六波羅評定衆)

長井 貞頼(ながい さだより、1275年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 

長井頼重の次男として、『毛利家系図国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本*1『福原家譜』7巻『尊卑分脈』(下図)などの各系図類で載せられる。官途は左衛門尉。六波羅評定衆であったと伝えられる。

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常楽記*2により、兄・については文永9(1272)年生まれ*3、僧籍に入った弟の運雅(うんが)(若宮別当律師)建治3(1277)年生まれと判明している*4ので、系図通りならば貞頼はその間に生まれたことになる。よって1275年頃の生まれと推定しておきたい。

従って「」の名も、父・頼重の1字「頼」に対し「」の字は、兄に同じく元服当時の執権・北条 (在職:1284~1301年)*5からの偏諱と判断される。

 

(参考ページ)

 長井貞頼とは - コトバンク

 

脚注

*1:データベースれきはく 館蔵資料データベース > 館蔵高松宮家伝来禁裏本 > 資料名称「毛利家系図」で検索。

*2:『常樂記』(龍門文庫蔵古写本)『常楽記』(群書類従本・翻刻版)ー 慶応義塾大学Google図書館プロジェクト)

*3:元徳3(1331)年2月12日に数え60歳で亡くなったとする(→『編年史料』後醍醐天皇紀・元弘元年正~三月 P.23)。

*4:元応2(1320)年9月23日に数え44歳で亡くなったとし(→『史料稿本』後醍醐天皇紀・元応2年9~11月 P.26)、「醍醐寺過去帳」でも同じ命日とする。叔父(頼重の弟)である覚雅(かくが)の弟子として京都若宮八幡宮社第6代・9代別当となった(→ 長井頼重 - Wikipedia 参照、典拠は「六条八幡宮別當補任次第」)。運雅については『尊卑分脈』など多くの系図類で上山宗元長井宗衡兄弟と父子関係にあったとするが、これが誤りであることについては兄弟のHenkipedia各記事を参照のこと。

*5:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その8-北条貞時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)より。