長井 貞頼(ながい さだより、1275年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。
長井頼重の次男として、『毛利家系図』(国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本)*1や『福原家譜』7巻・『尊卑分脈』(下図)などの各系図類で載せられる。官途は左衛門尉。六波羅評定衆であったと伝えられる。

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『常楽記』*2により、兄・貞重については文永9(1272)年生まれ*3、僧籍に入った弟の運雅(うんが)(若宮別当律師)も建治3(1277)年生まれと判明している*4ので、系図通りならば貞頼はその間に生まれたことになる。よって1275年頃の生まれと推定しておきたい。
従って「貞頼」の名も、父・頼重の1字「頼」に対し「貞」の字は、兄に同じく元服当時の執権・北条貞時 (在職:1284~1301年)*5からの偏諱と判断される。
(参考ページ)
脚注
*1:データベースれきはく 館蔵資料データベース > 館蔵高松宮家伝来禁裏本 > 資料名称「毛利家系図」で検索。
*2:『常樂記』(龍門文庫蔵古写本)。『常楽記』(群書類従本・翻刻版)ー 慶応義塾大学Google図書館プロジェクト)。
*3:元徳3(1331)年2月12日に数え60歳で亡くなったとする(→『編年史料』後醍醐天皇紀・元弘元年正~三月 P.23)。
*4:元応2(1320)年9月23日に数え44歳で亡くなったとし(→『史料稿本』後醍醐天皇紀・元応2年9~11月 P.26)、「醍醐寺過去帳」でも同じ命日とする。叔父(頼重の弟)である覚雅(かくが)の弟子として京都若宮八幡宮社第6代・9代別当となった(→ 長井頼重 - Wikipedia 参照、典拠は「六条八幡宮別當補任次第」)。運雅については『尊卑分脈』など多くの系図類で上山宗元・長井宗衡兄弟と父子関係にあったとするが、これが誤りであることについては兄弟のHenkipedia各記事を参照のこと。
*5:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その8-北条貞時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ記事)より。