太田時連
太田 時連(おおた ときつら、1269年~1345年)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚、問注所執事。三善氏の末裔で三善時連(みよし ー)とも呼ばれる*1。
<三善姓太田氏略系図>
康信―康連―康有―時連―貞連―顕行
*『萩藩閥閲録』巻30「椙杜伊織」所収の三善氏系譜 などを参考に作成。
太田時連については、複数の史料により、貞和元(1345)年に77歳で亡くなったことが明らかとなっており*2、逆算すると文永6(1269)年生まれとなる。
三善氏は元々「康」を通字とする一族であるが、康有の子である時連はこの慣例に従っていない。その名乗りを見ると、「連」は祖父・三善康連の1字を取ったものであろうから、1文字目に戴いている「時」が烏帽子親からの一字拝領であろう。15歳となった弘安6(1283)年には問注所執事に就任しており*3、年齢からしてもこの時までには元服を済ませていたと考えられるので、当時の8代執権・北条時宗(在職:1268~1284年*4)を烏帽子親としてその偏諱を受けたと推測される。その根拠として、時連の嫡子・貞連にも9代執権・北条貞時の偏諱を受けた形跡がある。
その他、活動経歴などについては、以下各ページを参照のこと。
● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№194-太田時連 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ記事)
脚注
*3:『鎌倉大日記』同年条(→『編年史料』後宇多天皇紀・弘安6年12月 P.71)、および『武家年代記』同年条(→『大日本史料』6-8 P.383)。