Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

太田時連

太田 時連(おおた ときつら、1269年~1345年)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚、問注所執事。三善氏の末裔で三善時連(みよし ー)とも呼ばれる*1。 

 

<三善姓太田氏略系図

康信―康連―康有―時連―貞連―顕行

『萩藩閥閲録』巻30「椙杜伊織」所収の三善氏系譜 などを参考に作成。

 

太田時連については、複数の史料により、貞和元(1345)年に77歳で亡くなったことが明らかとなっており*2、逆算すると文永6(1269)年生まれとなる。

三善氏は元々「康」を通字とする一族であるが、康有の子であるはこの慣例に従っていない。その名乗りを見ると、「連」は祖父・三善康連の1字を取ったものであろうから、1文字目に戴いている「」が烏帽子親からの一字拝領であろう。15歳となった弘安6(1283)年には問注所執事に就任しており*3、年齢からしてもこの時までには元服を済ませていたと考えられるので、当時の8代執権・北条(在職:1268~1284年*4)を烏帽子親としてその偏諱を受けたと推測される。その根拠として、時連の嫡子・連にも9代執権・北条時の偏諱を受けた形跡がある。

 

その他、活動経歴などについては、以下各ページを参照のこと。

 太田時連 - Wikipedia

 太田時連(おおた ときつら)とは - コトバンク

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№194-太田時連 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)

 

脚注