Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

少弐資時

少弐 資時(しょうに すけとき、1263年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人少貳資時(旧字表記)、武藤資時(むとう ー)とも。

 

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少弐経資の3男とされる。文永11(1274)年の蒙古襲来文永の役に12歳で出陣。弘安4(1281)年の蒙古軍再襲来弘安の役壱岐島を守って享年19で戦死。

紺戸淳の論考*1に従って、資時の元服の年次を推定すると1272~1277年となる。

」の名乗りに着目すると、「資」が少弐氏の通字であるから、「」の字が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。執権家である北条氏からその通字を賜ったものとみられ、この当時の得宗および執権・北条からの偏諱であろう。12歳で初陣を飾った時までには元服を済ませていたものと推測される。

 

参考ページ

 少弐資時 - Wikipedia

 少弐資時(しょうに すけとき)とは - コトバンク

 少弐資時とは - はてなキーワード

 

脚注

*1:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、1979年)。元服の年齢を10~15歳とした場合。