少弐資時
少弐 資時(しょうに すけとき、1263年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。少貳資時(旧字表記)、武藤資時(むとう ー)とも。
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少弐経資の3男とされる。文永11(1274)年の蒙古襲来(文永の役)に12歳で出陣。弘安4(1281)年の蒙古軍再襲来(弘安の役)に壱岐島を守って享年19で戦死。
紺戸淳氏の論考*1に従って、資時の元服の年次を推定すると1272~1277年となる。
「資時」の名乗りに着目すると、「資」が少弐氏の通字であるから、「時」の字が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。執権家である北条氏からその通字を賜ったものとみられ、この当時の得宗および執権・北条時宗からの偏諱であろう。12歳で初陣を飾った時までには元服を済ませていたものと推測される。
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