佐竹貞義
佐竹 貞義(さたけ さだよし、1287年~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏第8代当主。
▲『古押譜』より、佐竹貞義の花押*1
『正宗寺記』など複数の史料・系図類によれば、文和元(1352)年9月10日に66歳で亡くなったといい*2、逆算すると弘安10(1287)年生まれと分かる。
この生年に基づき、紺戸淳氏の論考*3に従えば、元服の年次は1296~1301年と推定可能であり、ちょうど正安3(1301)年の8月まで執権の座にあった北条貞時(亡くなる1311年まで得宗家当主)*4の偏諱「貞」字が許されていることが分かる。 佐竹貞義は貞時を烏帽子親として元服し、1字を賜ったとみて間違いなかろう*5。
ところで『正宗寺本 佐竹系図』での注記中に「貞氏御一字也」という記載が見られる*6。少なくとも「貞」字が烏帽子親からの1字であることは間違いないようだが、貞時ではなく「貞氏」と書かれている。
当該期、貞時の偏諱を受けて「貞氏」と名乗った人物としては、足利貞氏、京極貞氏などが挙げられるが、佐竹氏に一字を与え得るとすれば同じ清和源氏の足利氏の可能性が比較的高いだろう*7。「甲斐信濃源氏綱要」によれば、足利貞氏は元亨2(1322)年3月15日に甲斐源氏・武田氏信の烏帽子親を務めたらしい*8が、貞時の烏帽子子であった貞氏*9が、貞時が存命の間に「貞」の偏諱を貞義にそのまま下げ渡す、というのはあまり現実的な想定ではないと思う。
よって『正宗寺本 佐竹系図』は「貞時御一字也」とすべきところの誤記であり、貞時―貞義は直接の烏帽子親子関係にあったと考えるのが良いかと思う。
(参考ページ)
● 佐竹貞義
脚注
*1:『大日本史料』6-17 P.22 より。
*2:『大日本史料』6-17 P.15~の各史料を参照のこと。
*3:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)。10~15歳での元服とした場合。
*4:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その8-北条貞時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)より。
*5:『結城市史』第四巻 古代中世通史編(結城市、1980年)P.297。
*7:「御一字」という表現からしても、鎌倉幕府の"副将軍"たる北条氏得宗家、または 室町時代に入ってからの将軍家=足利氏の可能性が濃厚だと考えられる。
*8:系図綜覧. 第一 - 国立国会図書館デジタルコレクション。今野慶信「鎌倉武家社会における元服儀礼の確立と変質」(所収:『駒沢女子大学 研究紀要 第24号』、2017年)P.49・52 註(10)。