佐々木 泰綱(ささき やすつな、1213年~1276年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。
のちに六角氏となる近江宇多源氏佐々木氏嫡流の当主で、京都六角堂に邸宅を構えたことにちなんで六角泰綱(ろっかく ー)とも呼ばれる*1。
『尊卑分脈』では母を川崎五郎為重の娘とする*2が、これは転記の際に誤って兄・重綱の母が書かれたもので、「重」の字も(外祖父である)川崎為重からの偏諱ではないかとする見解がある*3。為重(中山五郎為重)は岳父である比企能員の変で討ち死にしたといい*4、その本領であった武蔵国川崎荘を継承した信綱は北条義時の娘と再婚。その間に生まれた3男泰綱・4男氏信を厚遇し、嫡子の地位はやがて重綱から泰綱に移ったとされる*5。
その地位の源泉として、北条氏得宗家との烏帽子親子関係が関係しているのではないかと思う。
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こちら▲の記事で紹介した通り、佐々木泰綱に連れられた嫡男は、当時の執権・北条時頼の邸宅で9歳にして元服し「頼綱」を名乗ったが、明らかに一字拝領が行われた形跡がある。
これを踏まえて父・泰綱の名に着目すると、同様に「泰」字は3代執権・北条泰時が烏帽子親であったことを想起させる。
紺戸淳氏は『尊卑分脈』に建治2(1276)年に64才(数え年)で亡くなった旨の記載があり*6、逆算すると建保元(1213)年生まれとなるので、元服の年次はおおよそ1222~1227年と推定可能で、元仁元(1224)年6月から執権に就いた泰時*7からの偏諱であるとしている*8。
(参考ページ)
● 壱岐大夫判官泰綱: 佐々木哲学校(佐々木哲氏のブログ記事)
脚注
*1:六角氏(ろっかくうじ)とは - コトバンク、および 六角泰綱(ろっかく やすつな)とは - コトバンク を参照のこと。
*2:『編年史料』後宇多天皇紀・建治2年3~5月 P.42。
*3:澁谷氏 ~秩父党~ #渋谷重国 より。為重の父は重国の兄・中山重実。
*5:近江守信綱: 佐々木哲学校(佐々木哲氏のブログ)より。
*6:注2同箇所。
*7:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その3-北条泰時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)より。
*8:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)P.15系図・P.17。