長井氏元
長井 氏元(ながい うじもと、1340年前後~没年不詳)は、南北朝時代の武将。
『尊卑分脈』*1には長井挙冬の嫡男として記載され、「新後集作者」・「掃部頭」・「従五位下」と注記されているが、他の幾つかの長井氏系図でも内容は変わらない。
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こちら▲の記事で紹介の通り、『常楽記』によって父・挙冬が正和3(1314)年に生まれ、貞和3(1347)年3月24日に34歳(数え年)で他界したことが判明している。
従って、現実的な親子の年齢差を考慮すれば、氏元の生年は早くとも1334年頃と推定可能で、挙冬が亡くなる1347年までには生まれている筈である。
ここで「氏元」の名乗りに着目すると、「元」は祖先の大江広元に由来する字と考えられるから、上(1文字目)に掲げる「氏」が烏帽子親からの一字拝領と推測できる。これは、1338年~1358年の間、室町幕府の初代将軍であった足利尊氏*2の偏諱に間違いないだろう。
氏元については史料が未発見のため事績については不明であるが、挙冬が亡くなった時、氏元・元冬兄弟は10代前半以下と幼少であった筈である。氏元が尊氏の加冠により元服を遂げた時が、挙冬の生前か死後かは定かに出来ないが、鎌倉時代から幕府官僚として高い家格を誇っていた長井氏の嫡流を足利氏がバックアップしていたのであろう。氏元の後は「氏広―兼広」と続くが、鎌倉公方(尊氏の子・足利基氏の系統:氏満―満兼)に仕えてその偏諱を受けたものとみられる。