高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。佐々木宗泰(ささき ー)とも。
通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。
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伝えられるところによると、建長7(1255)年に京都で生まれ、文永6(1269)年、当時15歳(数え年)で元服を遂げたという*2。「高岡氏系図」には嘉暦元(1326)年7月15日に72歳で亡くなったと記されており*3(逆算すると1255年生まれ)、かつ次兄・時清が仁治3(1242)年生まれであることからしても妥当であろう。
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「宗泰」の名乗りは、「泰」が父・泰清からの継字であるから、「宗」が烏帽子親からの一字拝領と考えられるが、文永3(1266)年に解任された第6代将軍・宗尊親王*4の偏諱ではあり得ない。同5(1268)年に執権となったばかりの北条時宗の偏諱であることは間違いなかろう*5。その契機については、泰清の嫡子であった次兄・時清が鎌倉に在り、北条氏得宗家との仲介を果たしたのではないかとする見解もある*6。
参考ページ
● 隠岐流佐々木氏: 佐々木哲学校(佐々木哲氏のブログ記事)
● 佐々木泰清の子孫
●『尊卑分脈』(新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 9 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
脚注
*1:新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 9 - 国立国会図書館デジタルコレクション 参照。
*2:高岡八郎左衛門尉源宗泰、佐々木泰清の子孫の名前: 資料の声を聴く より。典拠は「高岡氏系図」か。
*3:出雲高岡氏について(2) より。
*4:宗尊親王(むねたかしんのう)とは - コトバンク より。
*6:前注に同じ。