Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

高岡宗泰

高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人佐々木宗泰(ささき ー)とも。

 

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通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。 

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伝えられるところによると、建長7(1255)年に京都で生まれ、文永6(1269)年、当時15歳(数え年)元服を遂げたという*2。「高岡氏系図」には嘉暦元(1326)年7月15日に72歳で亡くなったと記されており*3(逆算すると1255年生まれ)、かつ次兄・時清が仁治3(1242)年生まれであることからしても妥当であろう。

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」の名乗りは、「泰」が父・泰清からの継字であるから、「」が烏帽子親からの一字拝領と考えられるが、文永3(1266)年に解任された第6代将軍・親王*4偏諱ではあり得ない。同5(1268)年に執権となったばかりの北条時偏諱であることは間違いなかろう*5。その契機については、泰清の嫡子であった次兄・時清が鎌倉に在り、北条氏得宗家との仲介を果たしたのではないかとする見解もある*6。 

 

参考ページ

 高岡宗泰 - Wikipedia

 高岡八郎左衛門尉源宗泰

 隠岐流佐々木氏: 佐々木哲学校(佐々木哲のブログ記事)

 佐々木泰清の子孫

尊卑分脈』(新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 9 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

脚注