Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

大室盛高

安達 盛高(あだち もりたか、生年不詳(1300年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室盛高(おおむろ ー)とも呼ばれる。大室長貞(安達長貞)の嫡男。通称は九郎左衛門尉。

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▲【図A】安達氏略系図*1

 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

こちら▲の記事で、父・長貞の生年を1280年代前半と推定した。従って、親子の年齢差を考慮すれば、息子である盛高・盛冬兄弟の生年は1300年代以後とすべきであろう。

元服は通常10代前半で行われたから、その年次は北条得宗であった期間(1311年家督継承、執権在職:1316年~1326年)*2内であったことは確実と言って良く、「盛」が先祖の安達盛長安達景盛父子に由来すると考えられることからしても、「盛」の名は時の偏諱を受けたものと判断される。祖父・義、父・長の慣例に従って得宗家と烏帽子親子関係を結んだのであろう。

尚、盛高については『尊卑分脈』等系図類以外の史料上では確認できず、その生涯・活動については不明である。

 

脚注

*1:新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 4 - 国立国会図書館デジタルコレクション および 細川重男「秋田城介安達時顕-得宗外戚家の権威と権力-」(所収:細川『鎌倉北条氏の神話と歴史-権威と権力-』第六章、日本史史料研究会、2007年)P.140~141に掲載の図 に基づき作成。

*2:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その9-北条高時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)より。