東貞常
東 貞常(とう さだつね、生年不詳(1273年以後)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。
系図集や書状類では全く確認できないが、東氏の末裔(東益之の子、東常縁の異母弟)である建仁寺住持・正宗龍統*1が書き記した次の史料により、僧・素𦨻*2の父親、東時常の息子として確認ができる。
…先公諱益之、京人、姓平、其先千葉之族、有諱胤頼者、食采下総州東庄、因氏焉、至公八世、曾祖考氏村、生而恵朗、長而凝静、耽美和歌之道、辱後醍醐皇帝寵命、於武者所、献歌章、而名聞四方矣、祖考常顕、野州刺史、武烈而威、暗噁叱咤而河水為之起湧、亦善歌詞、考師氏、総州刺史、傾而長、鬚髯麗以人物称、其歌詞之工、与祖及考、足以差肩、同系素𦨻無子、養公為子、𦨻父貞常、貞常父時常、時常行氏之長嫡、行氏氏村之兄也、 …
自身の系譜として、千葉氏分家の東氏について綴っていることは間違いなく、「貞常の父時常」が「行氏の長嫡」であることは『尊卑分脈』に掲載の通りである。
千葉常胤―東胤頼―重胤―胤行―行氏―時常
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父・時常については建長5(1253)年頃の生まれと伝わっており、正安3(1301)年、北条貞時が9代執権を辞して出家する7ヶ月前の段階では出家して「東六郎左衛門入道」*4と呼ばれていたようである(詳しくは上記記事をご参照いただきたい)。
従って、息子の貞常の生年は1273年頃より後と考えられ、元服は北条貞時執権期間(1284~1301年)に行われた可能性が高い。実際「貞常」の名は貞時の偏諱を受けたものとみられ、得宗専制が強まる中で父とともに事実上御内人(得宗被官)化していたと考えられている。
参考ページ
● 東貞常 ー 東氏