Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

東貞常

東 貞常(とう さだつね、生年不詳(1273年以後)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人

 

系図集や書状類では全く確認できないが、東氏の末裔(東益之の子、東常縁の異母弟)である建仁寺住持・正宗龍統*1が書き記した次の史料により、僧・素𦨻*2の父親東時常の息子として確認ができる。

 

【史料】『故左金吾兼野州太守平公墳記』*3より

…先公諱益之、京人、姓平、其先千葉之族、有諱胤頼者、食采下総州東庄、因氏焉、至公八世、曾祖考氏村、生而恵朗、長而凝静、耽美和歌之道、辱後醍醐皇帝寵命、於武者所、献歌章、而名聞四方矣、祖考常顕野州刺史、武烈而威、暗噁叱咤而河水為之起湧、亦善歌詞、考師氏総州刺史、傾而長、鬚髯麗以人物称、其歌詞之工、与祖及考、足以差肩、同系素𦨻無子、養公為子、𦨻貞常貞常父時常、時常行氏之長嫡、行氏氏村之兄也、 …

 

自身の系譜として、千葉氏分家の東氏について綴っていることは間違いなく、「貞常の父時常」が「行氏の長嫡」であることは『尊卑分脈』に掲載の通りである。

 

【東氏系図】『尊卑分脈』より

千葉常胤―胤頼―重胤―胤行―行氏―時常 

 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

父・時常については建長5(1253)年頃の生まれと伝わっており、正安3(1301)年、北条貞時が9代執権を辞して出家する7ヶ月前の段階では出家して「東六郎左衛門入道*4と呼ばれていたようである(詳しくは上記記事をご参照いただきたい)。

従って、息子の貞常の生年は1273年頃より後と考えられ、元服北条貞時執権期間(1284~1301年)に行われた可能性が高い。実際「常」の名は時の偏諱を受けたものとみられ、得宗専制が強まる中で父とともに事実上御内人得宗被官)化していたと考えられている。

 

参考ページ

 東貞常 ー  東氏

 東氏 - Wikipedia

 

 

脚注

*1:僧侶になった千葉一族 ~臨済宗~ #正宗龍統 より。

*2:実名不詳。時常―貞常の慣例に倣って得宗北条高時偏諱を受け「高常」であった可能性も考えられるが、根拠が皆無である今はその判断を差し控えたい。

*3:続群書類従巻第百九十二』伝部四(続群書類従完成会)所収。本文は 僧侶になった千葉一族 ~臨済宗~ より拝借。

*4:同年正月11日付「紀伊国薬勝寺沙汰次第注文」(所収:『紀伊風土記』附録四 古文書部四 薬勝寺)。『鎌倉遺文』第27巻20701号。