大曽祢長経
大曽祢 長経(おおそね ながつね、1232年~1278年)は鎌倉時代前期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曽祢氏の第3代当主。呼称は大曾禰長経(旧字表記)、大曽根長経とも。
historyofjapan-henki.hateblo.jp
『尊卑分脈』によれば、弘安元(1278)年6月22日、47才での死去とされ、逆算すると1232年生まれとなる。ここから元服の年次を考えると、「長経(ながつね)」の「経」字は、1242年~1246年の間、第4代執権であった北条経時を烏帽子親とし、その偏諱を賜ったものと考えられよう(4代将軍・九条頼経は1244年に解任)。
『吾妻鏡』での初見は、建長3(1251)年1月11日条「大曾禰左衛門太郎長継〔ママ〕」、同4(1252)年4月14日条「大曾禰左衛門大郎〔ママ:太郎、以下同じ〕長経」とされる。
(参考ページ)
● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№94-大曾禰長経 | 日本中世史を楽しむ♪