Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

尾藤頼景

尾藤 頼景(びとう よりかげ、1230年代後半?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御内人得宗被官)。尾藤景氏の嫡男。尾藤時綱(演心)の父。

 

頼景については、生没年も含め不明な点が多い。まずは世代の推定にあたって、『尊卑分脈』に基づき作成した次の図を見ていただきたい。

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頼景(景頼)佐藤公清から数えて10代目にあたるが、親戚にあたる後藤氏での基頼と同じ代数となる*1。 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

こちら▲の記事で紹介の通り、後藤基については暦仁元(1238)年生まれと判明しており、頼景もほぼ同世代人であったと考えて良いだろう。 

既に細川重男が指摘の通り、実名の「」は第5代執権・北条時(在職:1246~1256年*2偏諱を賜ったものと見受けられる。尚、実名について『尊卑分脈』が「」とするのに対し、『続群書類従』所収「尾藤系図」では「」と記載されるが、主君たる得宗からの1字を普通は上(1文字目)に置くと考えたのであろう、細川氏は後者が正しいと判断されている*3。 

 

尚、吾妻鏡では時頼執権期の以下3箇所が頼景に比定される*4

建長2(1250)年正月一日条「尾藤兵衛尉

同4(1252)年正月一日条「尾藤二郎

康元元(1256)年正月三日条「尾藤次郎兵衛尉

 

(参考ページ) 

 尾藤頼景 - Wikipedia

 

脚注 

*1:途中養子相続を挟むため、正確には公清―季清―康清―仲清―基清―基綱―基政―基頼と、公清から8代目にあたるが、能清の実弟・基清が実基の養子であったということは重要であって、養父よりは年少(或いは老いていてもほぼ同世代)であったと考えるのが自然と思われる。代数の少なさは親子の年齢幅の違いに起因するものであろう。

*2:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その6-北条時頼 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)より。

*3:細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年)P.214 注(24)。

*4:御家人制研究会(代表:安田元久)編『吾妻鏡人名索引』(吉川弘文館、[第5刷]1992年)P.422「頼景 尾藤」の項 より。