Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

結城朝光

結城 朝光(ゆうき ともみつ、1168年~1254年)は、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての武将、御家人。下総結城氏初代当主。

父は藤原北家藤原秀郷流の小山政光。 母は八田宗綱の娘・寒河尼。

幼名は一万丸、初名は小山宗朝(おやま むねとも)。通称は七郎。官途は左衛門尉、のち上野介。法名日阿

 

吾妻鏡』には次の箇所に朝光の元服の記事がある。

【史料】『吾妻鏡』治承4(1180)年10月2日条 より

治承四年十月小二日辛巳。武衛(=源頼朝相乗于常胤広常等之舟檝。済大井隅田両河。精兵及三万餘騎。赴武蔵国。豊嶋権守清元。葛西三郎清重等。最前参上。又足立右馬允遠元。兼日依受命。爲御迎参向云々 今日。武衛御乳母故八田武者宗綱息女 小山下野大掾政光妻。号寒河 相具鍾愛末子。参向隅田宿。則召御前。令談往時給。以彼子息。可令致昵近奉公之由望申。仍召出之。自加首服給。取御烏帽子授之給。号小山七郎宗朝 後改朝光 今年十四歳也云々。

源頼朝の御前に於いて元服し、自ら加冠を務めた頼より「」の偏諱を受けて「」と名乗ったことが窺える。後に父・政光の1字と合わせて「」と改名した。

▲2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも朝光が登場

 

(参考ページ)

 結城朝光 - Wikipedia

● 結城朝光とは - コトバンク

 

脚注