鎌倉時代の一字付与
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▲前回記事 に紹介した論文のうち、
今野 慶信 氏「鎌倉武家社会における元服儀礼の確立と変質」(所収:『駒沢女子大学 研究紀要 第24号』P.37~55、2017年)
の文末には、鎌倉時代の元服について史料・系図などで判明しているものを一覧にした表が掲載されています。
その中から、同時に一字付与(偏諱のやり取り)が行われたものを以下に挙げておきましょう。
烏帽子親 烏帽子子
遠藤遠光 → 遠藤盛遠(のちの文覚)
安達盛長 → 佐々木盛綱(幼名秀綱)
平重盛 → 平重景(家人, 父:景康[景泰] )
平重衡 → 平重国(家人, 姓:伊藤→平, 明恵の父)
平重衡 → 大中臣惟重
源為義 → 武田信義
加賀美遠光 → 武田信光
源頼政 → 紀望政
源頼朝 → 小山宗朝(のち結城朝光)
源頼朝 → 那須頼資
源義経 → 鷲尾経春(別名:義久)
源義経 → 伊勢義盛
源義経 → 河野通経
三浦義連 → 北条時連(のち時房)
小笠原長清 → 河村秀清
北条時政 → 曾我時致
北条時政 → 武田信政
源頼朝 → 北条頼時(のち泰時)
源実朝 → 名越朝時
三浦義村 → 北条政村
源実朝 → 松葉実宗(のち朝宗)
源実朝 → 金沢実義 ※
(北条泰時 → 金沢実泰 ※のち改名)
北条泰時 → 三浦泰村
北条泰時 → 松葉(平賀)惟泰
北条泰時 → 武田信時
北条泰時 → 金沢実時
藤原頼経 → 北条経時
藤原頼経 → 北条時頼
北条泰時 → 大友泰直 ※(?)
(北条時頼 → 大友頼泰 ※のち改名)
北条時頼 → 佐々木頼綱
北条時頼 → 武田時綱
足利利氏 ※ → 北条時利(のち時輔)
(北条時頼 → 足利頼氏 ※のち改名)
北条時頼 → 松葉(平賀)惟時
宗尊親王 → 北条時宗
北条時宗 → 金沢時方(のち顕時)
小笠原長忠 → 小笠原長氏(長忠の孫)
北条時宗 → 武田信宗
北条時宗 → 戸次時親
北条時宗 → 小笠原宗長
北条貞時 → 戸次貞直
北条貞時 → 足利貞氏
(北条貞時 → 小笠原貞宗 ?)
北条高時 → 戸次高貞
(北条高時 → 佐々木時信 ?)
北条高時 → 足利高氏
足利貞氏 → 武田氏信
守邦親王 → 北条邦時
(備考)
● "偏諱" のうち、今野氏が直接言及していないものについては黄字とした。
● 緑字は同じ一字は共有しているものの、同族間での通字のやり取りのため、偏諱と解釈して良いのかどうかには疑問があり、赤字の偏諱とは別の扱いとする。
● 但し、北条氏金沢流に関しては、初代・実泰(初め実義)が兄・泰時の一字を受けて改名しており*1、2代・実時は「実」が父・実泰からの継承、「時」が烏帽子親からの一字=偏諱と解釈できるので、本来は北条氏の通字ではあるが、加冠役・泰時からの偏諱であると解釈しておきたい。すると、3代・時方(顕時)の場合は時宗を烏帽子親としたので同じ「時●」型での名乗りであり、4代・貞顕は北条貞時からの偏諱と父・顕時の一字によって名前を構成している*2。よって、先行研究で示されている通り、北条氏金沢流は本家筋の得宗家から代々偏諱を受けた家系であったと解釈し、赤字の偏諱と同等の扱いとした。
以上.