真壁高幹
真壁 高幹(まかべ たかもと、1299年~1354年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。
真壁氏は桓武平氏の一門・大掾氏(多気氏)より分かれた一族で「幹」を通字としていた。
父は真壁幹重とされる。川島孝一氏の説によると、1299年9月生まれ*1。元服の時期を推定すると、1308~1313年。
1309年には得宗家当主・北条貞時の嫡男が元服して「高時」を称し*2、1311年には貞時が亡くなって*3代替わりしている。高時治世期において「高」字の名乗りを許されていることから、高時から偏諱を賜ったものとみて良いと判断される*4。
但し、鎌倉幕府滅亡に際して北条氏と運命を共にせず、その後は足利尊氏に従っている。
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