少弐貞経
少弐 貞経(しょうに さだつね、1272年~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。
「貞経」の名乗りに着目すると、経資―盛経と継承されてきた「経」の字に対し、「貞」が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。
建武3(1336)年に自害した時、享年(数え年)64(『佐賀諸家系図』所収「馬場系図」)*1または65(『北肥戦誌』一「多々良浜合戦之事」)*2であったといい、逆算すると文永9(1272)~同10(1273)年の生まれとなり、元服は通常10代前半で行われたから、弘安7(1284)年から執権職を継いだ北条貞時が烏帽子親となり偏諱を賜ったものと考えて問題ないだろう*3。
その他、活動経歴・生涯については下記ページを参照のこと。
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*氏泰の母親(=貞宗の正室)は少弐氏の出身であったと伝えられ*4、貞経の娘*5とも、盛綱(盛経の誤記)入道崇恵の娘(=貞経の姉または妹)*6ともいわれる。
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