Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

少弐貞経

少弐 貞経(しょうに さだつね、1272年~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人

 

」の名乗りに着目すると、資―盛と継承されてきた「」の字に対し、「」が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。 

建武3(1336)年に自害した時、享年(数え年)64(『佐賀諸家系図』所収「馬場系図」)*1または65(『北肥戦誌』一「多々良浜合戦之事」)*2であったといい、逆算すると文永9(1272)~同10(1273)年の生まれとなり、元服は通常10代前半で行われたから、弘安7(1284)年から執権職を継いだ北条時が烏帽子親となり偏諱を賜ったものと考えて問題ないだろう*3

 

その他、活動経歴・生涯については下記ページを参照のこと。

 少弐貞経 - Wikipedia

 少弐貞経(しょうにさだつね)とは - コトバンク

 少弐貞経とは - はてなキーワード

 

(関連記事)

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*氏泰の母親(=貞宗正室)は少弐氏の出身であったと伝えられ*4、貞経の娘*5とも、盛綱(盛経の誤記)入道崇恵の娘(=貞経の姉または妹)*6ともいわれる。

 

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脚注

*1:『大日本史料』6-3 P.127~128

*2:『大日本史料』6-3 P.126

*3:同じく1272年~73年生まれで「貞」字を受けた御家人としては、北条(大仏)貞房河越貞重長井貞重足利貞氏大友貞親二階堂貞藤が挙げられる。

*4:『公方様当家条々要目』(『大日本史料』6-24 P.521)に「氏泰公御袋(おふくろ)者、少貳殿御息女也、」とある。

*5:大友氏泰 紹介ページ

*6:『諸家系図纂』所収「大友氏系図」(→ 『史料稿本』後醍醐天皇紀・元弘三年三~六月 P.32)、『続群書類従』所収「大友系図」より。「盛綱」は『尊卑分脈』で「法名崇恵」と注記される盛経の誤記と判断できる。