曾我時致
曾我 時致(そが ときむね、1174年~1193年)は、鎌倉時代初期の武将。
▲月岡芳年 画「芳年武者旡類 五所五郎丸 曽我五郎時宗〔ママ〕」(国立国会図書館所蔵)
(http://www.photo-make.jp/hm_2_1/minamoto_soga.html より拝借)
通称は「曾我五郎」。兄・曾我祐成(曾我十郎)と共に父親(河津祐泰)の仇である工藤祐経を討った "曾我兄弟の仇討ち" 事件で知られる。この時致の元服については次の史料が残されている。
建久元(1190)年9月7日、曾我十郎祐成(故・伊東祐親法師の孫)が弟・筥王を連れて北条殿(=北条時政)の所に参り、筥王は時政の御前で元服を遂げて、曾我五郎時致と名乗った。その名前からして「時」の偏諱が与えられたことが分かる。
「時致」については異説として「時宗」と伝える史料がある*1ぐらいなので、「ときむね」と読んで良いだろう。
▲2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』22話より。左から 曾我五郎時致、曾我十郎祐成、五郎の烏帽子親・北条時政
(参考記事)
historyofjapan-henki.hateblo.jp