Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

牧政親

牧 政親(まき まさちか、1170年頃?~没年未詳)は、平安時代末期の駿河国大岡牧(現在の静岡県沼津市の豪族。北条時政の継室となった牧宗親の娘・牧の方の一族(牧の方の弟か?)。通称は六郎。

 

政親については、次の史料で確認ができる*1

【史料】『吾妻鏡』文治5(1189)年11月2日条 より*2

十一月小二日戊午、牧六郎政親蒙御氣色、北條殿令申預給。是者与泰衡、依有融通之聞也。

奥州藤原氏との合戦の折、藤原泰衡に通じていたとして政親源頼朝の不興を買って北条時政に預けられたと伝える。『吾妻鏡』に見える「牧三郎宗親」、建久3年に「六波羅探題」としてみえ、『閑谷集』作者の父ともされる「牧四郎国親*3の近親者には間違いないだろう。「六郎」とのみ称することから、元服からさほど経っていなかったので無官であったと考えられ、「親」の「」も時が加冠役(=烏帽子親)を務めて偏諱を与えたものと考えられよう*4。冒頭で記した通り、時政は牧氏から妻を迎えており、それが契機となったものと推測される。

 

(参考ページ)

 上総平氏 千葉常秀 #牧氏について

● 宝賀寿男:杉橋隆夫氏の論考 「牧の方の出身と政治的位置」を読む

 

脚注

*1:御家人制研究会(代表:安田元久)編『吾妻鏡人名索引』(吉川弘文館、[第5刷]1992年)P.279「政親 」の項 より。

*2:『大日本史料』4-2 P.833

*3:浅見和彦「『閑谷集』の作者 西行の周縁・実朝以前としてー」。

*4:執権就任前の時政が烏帽子親を務めた例としては、『吾妻鏡』建久元(1190)年9月7日条に時政の御前で曾我時致元服を遂げた記事が確認できる(→ 曾我時致 - Henkipedia 参照)。