牧政親
牧 政親(まき まさちか、1170年頃?~没年未詳)は、平安時代末期の駿河国大岡牧(現在の静岡県沼津市)の豪族。北条時政の継室となった牧宗親の娘・牧の方の一族(牧の方の弟か?)。通称は六郎。
政親については、次の史料で確認ができる*1。
奥州藤原氏との合戦の折、藤原泰衡に通じていたとして政親が源頼朝の不興を買って北条時政に預けられたと伝える。『吾妻鏡』に見える「牧三郎宗親」、建久3年に「六波羅探題」としてみえ、『閑谷集』作者の父ともされる「牧四郎国親」*3の近親者には間違いないだろう。「六郎」とのみ称することから、元服からさほど経っていなかったので無官であったと考えられ、「政親」の「政」も時政が加冠役(=烏帽子親)を務めて偏諱を与えたものと考えられよう*4。冒頭で記した通り、時政は牧氏から妻を迎えており、それが契機となったものと推測される。
(参考ページ)
● 宝賀寿男:杉橋隆夫氏の論考 「牧の方の出身と政治的位置」を読む