Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条時宗

北条 時宗(ほうじょう ときむね、1251年~1284年)は、鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権、北条氏得宗家当主。

 

元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第6代将軍・親王から「」の偏諱を賜り、北条時と名乗った。典拠は次の史料である。  

【史料】『吾妻鏡』康元2(1257)年2月26日条 より

康元二年二月大廿六日壬午。天晴風靜。今日午二點。相州禪室若公 御名正壽。七歳 於御所被加首服。奥州并御家人 各布衣下括 着西侍。於二棟御所有其儀。副東障子設御座 大文高麗縁。若公着童裝束 狩衣。袴繍。被着武州座下。時尅。將軍家出御。土御門中納言 顯方卿。直衣。出二棟南面妻戸。蹲居廊根妻戸間。向若公告召之由。若公被參御前。武州被奉扶持之。次賜御裝束御烏帽子。退下。於中御所西對渡廊。立屏風。被着所賜之御衣 浮線綾狩御衣。紫浮織物御奴袴。蘇芳二袙。紅單衣 則又被參簾中。武州扶持如先。其後置雜具。先秋田城介泰盛持參烏帽子 置柳筥 進御前簀子。擡御簾進入之。次壹岐前司泰綱取打乱筥。大宰權少貳景頼役泔坏 置柳筥 。已上作法如先。次奥州起侍座。經廊西縁。被候切妻戸庇。武州者爲理髪役被候簾中。其外人々廊西南座 北上。東切折束〔東〕。次武州參進理髪。次新冠候御座前給。御加冠。次新冠三拝。次本役人等參進撤雜具。武州出於簾中。加于庭上。次黄門出自二棟南面。上同西面御簾三ケ間。次進物。御釼武藏前司朝直。御調度尾張前司時章。御鎧刑部少輔教時。左近大夫將監公時。御野矢下野前司泰綱。御行騰和泉前司行方。
 一御馬 置鞍銀  陸奥六郎義政  原田藤内左衛門尉宗經
 二御馬 白伏輪鞍 陸奥三郎時村  工藤左衛門尉高光
 三御馬 同    相摸三郎時利  南條新左衛門尉頼員
新冠給御釼 自取之給。退出。武州更堂上扶持之。便被着侍座。次人々歸着同座。有三獻儀。次新冠御前杓 其座。武州已下如初。次預書下御名字 時宗。黄門給之。被授武州