名越宗基
北条 宗基(ほうじょう むねもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。名越流北条時基の嫡男で名越宗基(なごえ ー)とも呼ばれる。
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各々注記の内容に若干の相違はあるものの、こちら▲の記事で紹介した『入来院本 平氏系図』『前田本 平氏系図』や、『正宗寺本 北条系図』等では、いずれも名越時基の長男とする。
父・時基については嘉禎2(1236)年生まれであることが判明しており*1、現実的な親子の年齢差を考えれば、宗基の生年は1256年頃より後とすべきであろう。
まず、前述3種系図での注記を確認すると次の通りである。
内容は各々異なってはいるものの、国守任官を果たしたことは認められるのではないかと思う。成立年代の古さからして『入来院本 平氏系図』の信憑性が高いだろう。前田本系図での「越後守」も誤記なのかもしれない。
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安達盛宗や大仏流北条貞房をはじめ、鎌倉時代の越前守任官者については、佐藤圭氏の論文*2が参照されるところである。同氏のまとめに従って鎌倉時代後期の越前守を掲げると次の通りである。
● 平惟輔:弘安2(1279)~同3(1280)年
**Ⅰ**
● 安達盛宗:弘安7(1284)年在任(~同8(1285)年11月没)
**Ⅱ**
● 藤原国房:弘安11(1288)~正応2(1289)年
**Ⅲ**
● 藤原経宣:永仁3(1295)~正安3(1301)年
● 藤原叙行:正安4(1302)年補任
● 平親景:嘉元4(1306)年3月30日補任
● 北条(大仏)貞房:嘉元4年7月19日補任(~延慶2(1309)年12月没)
● 源有頼:延慶2(1309)年2月19日~応長元(1311)年
**Ⅳ**
● 藤原重村:元享元(1321)年補任
宗基が越前守に在任し得る時期は、空白期間Ⅰ~Ⅳのいずれかであるが、弘安3(1280)年11月には父・時基が45歳にしてやっと遠江守に昇進しており、宗基が父親より先に国守に昇るとは考えにくいので、宗基の越前守任官はこれより後、ずなわちⅠではないだろう。
次いで早いⅡは、父・安達泰盛ら一門が滅んだ霜月騒動の余波で討たれた安達盛宗の後任として、弘安9(1286)年~同10(1287)年の間在任であったことになる。
【表A】鎌倉時代後期における主要御家人の叙爵・国守任官の年齢*3
氏 | 叙爵年齢 | 国守任官年齢 |
北条(得宗・赤橋) | 10代 | 20代 |
北条(金沢・大仏) | 10代後半 | 30歳前後 |
足利 | 10代後半? | 20代 |
安達 | 24? | 30歳前後 |
長井 | 18? | 30歳前後 |
宇都宮 | 30代前後 | |
二階堂 | 20代? | 20代後半~30? |
表に示した通り、前田治幸氏の研究によると、鎌倉御家人の国守任官の年齢は概ね早くとも30歳程度の傾向にあった。父・時基の場合は庶子であったために任官年齢が遅かっただけであり、その後多少低年齢化することは十分あり得たと思う。Ⅱの期間に30歳を迎えたとすると1257~58年の生まれとなるが、時基が国守任官を果たしてからさほど経っていない頃に息子が越前守になるという想定もあまり現実的でないのではと思う。
以上より、ⅢまたはⅣの期間に名越宗基が越前守に任ぜられた可能性が高いが、いずれの時期で30・40代であったとしても、文永3(1266)年に解任された6代将軍・宗尊親王*4から1字を拝領することは不可能で、「宗」の字はやはり8代執権・北条時宗(在職:1268~1284年*5) からの偏諱で間違いなかろう。
ちなみに、 『正宗寺本 北条系図』では、宗基の息子として維基(これもと、上野介・遁世)、基明(もとあき、左近大夫将監)を載せるが、所詮は名越庶流ゆえか、得宗の偏諱を受ける対象から外れている。維基の「維」は祖先と仰ぐ平維将または平維時に由来するものと思われるが、次の史料での「上野介」が維基に比定されるのかもしれない。
▲【史料B】『公衡公記』正和4(1315)年3月16日条に引用されている施薬院使・丹波長周の注進状*6
脚注
*1:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その24-名越時基 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)より。
*2:佐藤圭「鎌倉時代の越前守について」(所収:『立命館文学』第624号、2012年)。
*3:前田治幸「鎌倉幕府家格秩序における足利氏」(所収:田中大喜編著『下野足利氏』〈シリーズ・中世関東武士の研究 第9巻〉、戎光祥出版、2013年)P.216~224の表 より作成。
*4:宗尊親王(むねたかしんのう)とは - コトバンク より。
*5:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その7-北条時宗 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ記事)より。