Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

宇都宮泰綱

宇都宮 泰綱(うつのみや やすつな、1203年~1261年)は、鎌倉時代前・中期の武将、御家人。宇都宮氏第6代当主。『尊卑分脈*1等によれば、父は宇都宮頼綱、母は北条時政の娘。

 

【史料】『吾妻鏡』弘長元(1261)年11月1日条 より

弘長元年十一月大一日己未。晴。前下野守正五位下藤原朝臣泰綱 年五十九。于時在京 卒。

この史料により、在京であった泰綱が亡くなった弘長元年の段階で享年59(数え年、以下同様)であったことが分かり、逆算すると建仁3(1203)年生まれとなる。

 

藤原定家の日記『明月記』嘉禄2(1226)年7月6日条では、3代執権・北条泰時(武蔵守)の意向により、「武蔵太郎(=北条時氏嫡男(=経時)」が「修理亮泰綱(むこ)」になるとの約束が成されたと伝えており、『吾妻鏡』でも、寛喜元(1229)年9月17日条に「修理亮泰綱」とあるのが初見とされ、その後も「宇都宮修理亮」「修理亮泰綱」と6回現れて、嘉禎3(1237)年6月23日条に「宇都宮修理亮泰綱」とあるのが確認できる*2

前述の生年に基づくと史料における初見の嘉禄2年当時24歳となるが、この時までに元服を済ませていたことは確実である。「」の名は執権(在職:1224~1242年)*3偏諱」が許されたものと見受けられるので、泰時が元服時の烏帽子親となって直接一字を与えたものと考えて良いだろう*4(父・頼綱についても年代や両者の関係性を考慮すると源頼朝からの一字拝領と考えられる*5

 

ところで、前述の生年に基づいて通常10~15歳で行う元服の年次を推定すると、およそ1212~1217年となる。泰綱にとって泰時とは母方の従兄弟関係にあり、畠山(母方の従兄弟)三浦*6と同様、縁戚関係にあったため泰時が執権となる前でも烏帽子親子関係が結ばれたケースだったのであろう。 

 

前述の通り、泰綱の娘は4代執権・北条時に嫁ぎ、当初の嫡男であったと考えられる綱もまた、その偏諱を受けたようである。経綱は男子に恵まれず、代わって景綱が家督を継承するが、その後の「綱―(幕府滅亡後は公綱)」も先例に倣って「時―時」と烏帽子親子関係を結んだのであった*7

historyofjapan-henki.hateblo.jp

 

(参考ページ)

● 宇都宮泰綱 - Wikipedia

 宇都宮泰綱(うつのみや やすつな)とは - コトバンク

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№104-宇都宮泰綱 | 日本中世史を楽しむ♪

 

脚注