Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

宇都宮公綱

宇都宮 公綱(うつのみや きんつな、1302年~1356年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。宇都宮氏第9代当主。父は宇都宮貞綱、母は長井時秀の娘。初名は宇都宮高綱(たかつな)。

 

系図類を見ると、公綱の傍注に「本 高綱『尊卑分脈』、「元 高綱『諸家系図纂』、「始 高綱『下野風土記』上と書かれている他、『正宗寺蔵書』の系図では同じく貞綱の子で氏綱の父を「高綱(兵部大輔〔ママ〕 備前守 理蓮)」と載せている*1。すなわち当初は「高綱」を名乗っていたということである。

先学で既にご指摘のように「」の名は、それまでの嫡男(綱、綱)が「綱」を通字とし、得宗「北条時・時・時」より一字拝領してきた慣例に倣い、得宗北条から偏諱を受けたものとされる*2

 

ここで生没年や享年について調べてみると、系図によって様々だが、細川重男のまとめによれば、延文元(1356)年10月20日に55歳で亡くなったとする『続群書類従』所収「宇都宮系図」の記載が正しいのではないかとされる*3。逆算すると乾元元(1302)年生まれ。高時が得宗家督を継承した応長元(1311)年には10歳、14代執権に就任した正和5(1316)年*4には15歳と、元服の適齢を迎える。異説では享年を45、或いは51(『佐野本宇都宮系図』:逆算すると徳治元(1306)年生まれ)と伝えるものもあり*5、これらの場合だと尚更、高時執権期間(1316~1326年)内の元服が確実となる。よって時と綱(公綱)は烏帽子親子関係にあったと判断して良いだろう。

 

管見の限り「(宇都宮)高綱」の名が確認できる史料は見つかっていないと思われるが、弟が「貞」を名乗ったことは『尊卑分脈』等の系図類のほか、実際の史料でも確認ができる*6ので、兄である公綱が初め「高綱」を名乗っていたという系図類での記載に疑いは無いと思う。

建武元(1334)年8月「(八番制)雑訴決断所結番交名」の一番に「宇津宮兵部少輔 公綱」とあるのが確認でき*7、これが改名後の初見と思われるので、鎌倉幕府滅亡後まもなく改名したものと判断される。 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

 

(参考ページ)

 宇都宮公綱 - Wikipedia

 宇都宮公綱(うつのみや きんつな)とは - コトバンク

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№107-宇都宮公綱 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)

 宇都宮公綱

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脚注