頼助
頼助(らいじょ、1244年~1296年)は、鎌倉時代の僧。
鎌倉幕府4代執権・北条経時の次男。経時の菩提所である鎌倉佐々目の遺身院を拠点としたので、佐々目頼助とも呼ばれる。
経時の遺児である隆政(りゅうせい)・頼助兄弟については、吉田通子氏の研究*1に詳しく、それに沿って述べる。
生まれて間もなく父・経時が亡くなり、その弟・北条時頼が執権職を継いだ。恐らく兄弟諸共、経時の遺児は当初、叔父である時頼の庇護下にあったと思われるが、経時派の復権を恐れた彼の意向により両者とも僧籍に入ることになったという。
頼助は当初「頼守(らいしゅ)」といったが、文永6(1269)年に仁和寺流・法助の弟子となり「頼助」に改名した。吉田氏は「頼」が時頼からの偏諱であり、時頼が頼助の外護者であったのではないかと説かれており、平雅行氏は実際に時頼の猶子であったと述べられている*2。
*尚、吉田氏は兄・隆政の初名「隆時」についても時頼が「時」の1字を与えたのではないかと説かれている。
関連人物
吉田氏は「北条氏出身の僧侶はそのほとんどの場合、父親から一字、伝法灌頂を受けた師から一字をもらって法名としている」と説かれている。
● 政助 … 1265~1303年。北条宗政(時頼の子)の子。*3
● 有助 … 1277~1333年。伊具流北条兼義(有時の子)の子。*4
● 頼仲 … 初め頼助死没の前年に頼助に入室し授法したと伝えられる*5。
参考リンク
● 鶴岡社務記録 #頼助 - 国立国会図書館デジタルコレクション
● 鶴岡社務記録 #政助 - 国立国会図書館デジタルコレクション
● 鶴岡社務記録 #有助 - 国立国会図書館デジタルコレクション
● 鶴岡社務記録 #頼仲 - 国立国会図書館デジタルコレクション
● 『鶴岡八幡宮寺社務職次第』(群書類従. 第參輯) - 国立国会図書館デジタルコレクション