Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

千葉胤貞

千葉 (ちば たねさだ、1288年~1336年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人

 

 

はじめに

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千葉宗胤の嫡男。『尊卑分脈』では宗胤の子は「貞胤」となっており、「胤」と「胤」はともに千葉氏通字の「胤」と得宗・北条時の偏諱によって構成されていると考えられるが、字がひっくり返っているだけなので、系図上で混乱があったのではないかとする意見もあった*1。 

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しかし、残存する多くの史料によって「千葉介貞胤」とは別に「千葉太郎/大隅 胤貞」の実在が確認できることは、以下参照のこと。

 

 

生誕と元服

historyofjapan-henki.hateblo.jp千葉頼胤(胤貞の祖父)の戦傷死に伴い、異国警固番役として九州に赴いていた千葉宗胤の長男として、正応元(1288)年、肥前国小城郡で誕生。幼名は竹王または竹若とされる。具体的に胤貞が生まれた場所については、小城市吉田の円明寺に伝わる、元徳2(1330)年に胤貞が寄進した木造地蔵菩薩半跏像佐賀県重要文化財の背面銘に「常胤八代孫 胤貞 母儀明意 生□カ(が)所建立也」とあり、円明寺の近くであったと考えられている*2

 

(*http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/tibatanesadatei.html より拝借)

現在の神奈川県鎌倉市にある妙隆寺は、上写真の看板にも掲げられているように、千葉胤貞邸跡地に建てられたという。すなわち、胤貞は一時的に鎌倉に居住していたことになる。

 

小城郡の雲海山岩蔵寺に所蔵されていた過去帳(=『雲海山岩蔵寺浄土院無縁如法経過去帳』※焼失)には、「当郡代々地頭」として「常胤、胤政、成胤、胤綱、時胤、泰胤、頼胤宗胤明恵後室尼胤貞、高胤、胤平、直胤、胤直、□〔胤〕継、胤泰…」の記載がある。ここに名を連ねているのは、原則千葉氏(宗胤以降はいわゆる九州千葉氏)の当主もしくはその代行者であるが、宗胤―胤貞父子の間で「明恵」なる人物が地頭となっていることが分かる。 "後室(=身分の高い人の未亡人*3で尼になった" と書かれたとあるから、宗胤の妻であった女性と考えて良いだろう。そして、字の類似からして「明恵」=前述の胤貞母「明意」ではないかと思われる。すなわち、宗胤の死後、幼少の胤貞に代わって母親が地頭職を代行していたと推測されその間に、ある程度成長した胤貞が一時的に鎌倉に移ることは十分に考えられよう。宗胤が鎌倉で生まれたとする説もあり、鎌倉の千葉氏邸は、後の江戸時代の参勤交代のような形で、小城郡や本貫地の下総国以外に別宅として構えていたものなのかもしれない。

 

その目的の一つが元服であったと思われる。紺戸淳の論考に従えば、前述の生年に基づく元服の年次は1297~1302年と推定可能で、前述したように「」の名は当時の得宗北条(1301年まで執権、1311年逝去)偏諱を許されたものとみられる*4

ところで、父までとは異なり得宗からの偏諱が下の位置(2文字目)となっているが、これには、ほぼ同時期になされた、叔父・千葉胤宗の子(すなわち従兄弟にあたる)元服が関係していると思われる。 

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貞胤の元服の時期については、宗胤が亡くなって胤宗が千葉氏惣領を継承した永仁3(1295)年頃とする見方がある。すなわち、竹王(のちの胤貞)が当時8歳と幼少であったこともあって惣領の座を得た胤宗が、その名分に弱かったため、支配権を確立するための一環として、自身の息子を急ぎ先に元服させたのだという*5。前述の通り、胤貞元服はこれより後と推定され、「胤」と名乗った胤の子に対する "庶流" の扱いで「」 を名乗ることに甘んじたのである。

 

参考ページ

千葉胤貞 ー 小城千葉氏

 千葉胤貞 - Wikipedia

● 鎌倉・千葉胤貞邸跡(現・妙隆寺)

 千葉胤貞(たねさだ)の墓

『多古町史 通史編』第三章第二節-1「千田胤貞と千葉介貞胤」

 

脚注

*1:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)P.18。

*2:千葉胤貞 ー 小城千葉氏 より。典拠は、淵上登美「九州千葉の祖 宗胤と明意のこと」(所収:『房総の郷土史』12)。

*3:後室(コウシツ)とは - コトバンク より。

*4:注1紺戸氏論文 P.15系図・P.18。

*5:千葉胤貞 ー 小城千葉氏 より。