安達盛宗 (右衛門尉)
安達 盛宗(あだち もりむね、1273年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。
本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の末弟・安達時景の子について述べる。泰盛の子については 安達盛宗 (越前守) - Henkipedia を参照のこと。
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こちら▲の記事で父・時景の生年を1253年頃と推定した。これに基づいて親子の年齢差を考えると、盛宗は1273年頃より後の生まれと判断される。
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こちら▲の記事で述べた通り、安達宗顕については生年が判明しており、弘安7(1284)年4月まで執権の座にあった北条時宗(同月逝去)の偏諱を賜ったものと判断される。その従弟にあたる長景の子・九郎宗長と、時景の子・盛宗も同じく時宗からの一字拝領とみられるが、盛宗の場合は、前述の生年に基づくと時宗の没年には12歳程度と元服の適齢を迎え、時宗晩年期にその加冠を受けたと考えて問題ないだろう。
尚、上図では「右衛門尉」の注記が見られるが、その任官年齢を考えた場合、父・時景ら安達氏の大半が討たれた翌8(1285)年の霜月騒動より後であったと判断すべきであろう。宗顕や時景のようにこの系図では弘安8年に討たれた者については漏れなく記載があるので、特に書かれていない盛宗については何とか難を逃れたようであるが、それでも冷遇されたためか、その後表舞台に現れた様子は確認できず、死没までの事績は分からない。