Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2021-01-01から1年間の記事一覧

徳川慶喜

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ / よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年~1913年)は、江戸時代の武将。江戸幕府第15代将軍。 『一橋徳川家譜』によると、弘化4(1847)年、当時の12代将軍・徳川家慶の意向を受け、9月朔日(ついたち=1日)、嗣子の無かった一橋徳…

小田高知

小田 高知(おだ たかとも、1300年頃?~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第7代当主。のち小田治久(はるひさ)と改名。 父は小田貞宗。子に小田孝朝。通称および官途は(常陸)太郎左衛門尉、尾張権守、宮内権少輔。…

小田宗知

小田 宗知(おだ むねとも、1259年~1306年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田時知。弟に北条道知、小神野時義。子に小田知貞(手野知貞)、小田貞宗などがいる。通称および官途は太郎左衛門尉、筑後守。法名…

小田泰知

小田 泰知(おだ やすとも、1211年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。常陸小田氏第3代当主。八田知家の嫡孫。父は知家の長男・小田知重。妻は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田時知、女子(結城広綱室、小萱重広母)。通称・官途は奥太郎左衛門尉。 hi…

小田時知 (嫡流第4代当主)

小田 時知(おだ ときとも、1242年~1293年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第4代当主。父は小田泰知。母は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田宗知、北条道知、小神野時義*1。通称および官途は左衛門尉(左衛門少尉)、常陸介。幼…

【論稿】鎌倉期常陸小田氏についての一考察

藤原道兼の玄孫(後掲『尊卑分脈』では実は源義朝の子とする)八田知家の子である八田知重(小田知重)を祖とする小田氏(おだし)は、常陸国筑波郡小田邑(現・茨城県つくば市小田)を本拠とした一族である*1。源頼朝に従い、鎌倉時代は御家人として、その…

【コラム】織田信長の偏諱

史料類で確認できるもの その他偏諱授与者とみられる者 脚注 上洛して足利義昭を15代将軍に推戴し、やがて対立した義昭を京から追放して権力者となった、尾張の戦国大名・織田信長。『信長公記』や『蜷川家文書』には「御父織田弾正忠殿」と宛てた義昭の感状…

【コラム】『麒麟がくる』明智光秀の偏諱

2020年度NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀の偏諱「秀」を受けたとみられる人物としては、明智秀満と藤田秀行が挙げられよう。 明智秀満(左馬助)は光秀の叔父・光安の子とも言われ、別名として伝わる「光春」・「光遠」・「光俊」等を名乗ってい…

足利家時

足利 家時(あしかが いえとき、1260年~1284年)は、鎌倉時代中期の武将、鎌倉幕府の御家人。 足利宗家第6代当主。 父は足利頼氏。母はその "家女房"(侍女)であった上杉重房の娘と伝わる*1。通称・官途は足利太郎、式部丞、式部大夫、伊予守。 生没年と烏…

安達時盛

安達 時盛(あだち ときもり、1241年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 ▲【系図A】安達氏略系図*1 『関東評定衆伝』建治2(1275)年条にある「城左衛門尉藤原時盛法師(秋田城介義景男)」のプロフィール*2によると、弘安8(1285)年6月10日、高野山に…

大友頼泰

大友 頼泰(おおとも よりやす、1222年~1300年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。大友氏第3代当主。初名は大友泰直。法名は道忍(どうにん)。官途は式部大夫、丹後守、出羽守、兵庫頭。 父は大友親秀、母は三浦氏一門・佐原家連の娘。子に大友泰能、大友親時…