Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条泰時の偏諱

佐々木泰綱

佐々木 泰綱(ささき やすつな、1213年~1276年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。仮名は三郎。官途および通称は左衛門尉(近江三郎左衛門尉)、近江大夫判官、壱岐守(壱岐前司・壱岐入道)。法名は生西。のちに六角氏となる近江宇多源氏…

千葉時胤

千葉 時胤(ちば ときたね、1218年~1241年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第7代当主。通称は千葉介。子に千葉頼胤。 時胤の系譜について 時胤の系譜については、各系図によって異なっている。 ●『神代本千葉系図』『徳島本千葉系図』『平朝臣徳嶋…

長井泰重

長井 泰重(ながい やすしげ、1220年頃?~没年不詳(1270年代半ば頃?)) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家の初代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で、兄・泰秀の生年が1212年であることを紹介した。…

長井泰秀

長井 泰秀(ながい やすひで、1212年~1254年)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江泰秀(おおえ ー)とも呼ばれる。 【史料】『吾妻鏡』より 建長五年十二月大廿一日乙丑。晴。前甲斐守正五位下大江朝臣泰秀卒 年四十二。 この史料により、建長5(1253…

佐々木泰清

佐々木 泰清(ささき やすきよ、1210年頃?~1287年?(実は1282年?))は、鎌倉時代中期の武士、御家人。隠岐泰清(おき ー)とも。 生年と烏帽子親の推定 『吾妻鏡』での初見 と 父兄との関係 義重・時清との関係 史料における泰清 脚注 生年と烏帽子親の推…

武田信時

武田 信時(たけだ のぶとき、1220年~1289年)は、鎌倉時代前~中期の武将。甲斐武田氏第4代当主。父は武田信政。子に武田時綱。通称は武田五郎次郎。 【史料】「甲斐信濃源氏綱要」*1 信時の注記より一部抜粋 ……後堀川院寛喜元年正月十五(年十)、加冠平…

平賀惟泰

平賀 惟泰(ひらが これやす、1212年~1295年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。 父は松葉資宗(助宗)、母は大中臣惟重の娘。兄に松葉実宗(朝宗)、弟に平賀惟時がいる。松葉惟泰、平賀泰重とも。 『平賀家文書』所収「平賀氏系譜」 *1での注記の内容を整理す…

金沢実時

北条 実時(ほうじょう さねとき、旧字表記:北條實時、1224年~1276年)は、鎌倉時代中期の御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の第2代当主で、金沢実時(かねさわ ー)とも呼ばれる。通称(輩行名)は太郎。 ▲北条実時像(国宝、称名寺所蔵、神奈川県立金…

金沢実泰

北条 実泰(ほうじょう さねやす、旧字表記:北條實泰(實𣳾)、1208年~1263年)は、鎌倉時代前期の御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の祖で、金沢実泰(かねさわ ー)とも呼ばれる。初名は北条実義(さねよし、金沢実義)。通称(輩行名)は五郎。 ▲伝・北…

二階堂行泰

二階堂 行泰(にかいどう ゆきやす、1211年~1265年)は、鎌倉時代前期の御家人。鎌倉幕府政所執事。父は二階堂行盛。 史料数点によれば、文永2(1265)年10月2日に享年55(数え年、以下同じ)で亡くなったと伝えられ*1、逆算すると、建暦元(1211)年生まれとな…

三浦泰村

三浦 泰村(みうら やすむら、1204年~1247年)は、鎌倉時代中期の御家人。 人物・生涯については 三浦泰村 - Wikipedia をご参照いただきたい。 本項では泰村の一字拝領と生年についての考察を述べたいと思う。 三浦氏では、三浦為継(為次)の子・義継(義…