二階堂高元
二階堂 高元(にかいどう たかもと、1310年頃?~没年不詳(1342年以後))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。のちに二階堂行春(ゆきはる)と改名。父は二階堂時元。通称は下野判官。
【史料A】建武元(1334)年正月付「関東廂番定書写」(『建武(年間)記』)*1
定廂結番事、次第不同、
番 〔※原文ママ、"一"番脱字カ〕
( 略 )
二番
( 略 )
丹後三郎左衛門尉盛高 三河四郎左衛門尉行冬
三番
( 略 )
山城左衛門大夫高貞 前隼人正致顕
四番
( 略 )
小野寺遠江権守道親 因幡三郎左衛門尉高憲
遠江七郎左衛門尉時長
五番
伊東重左衛門尉祐持 後藤壱岐五郎左衛門尉
美作次郎左衛門尉高衡 丹後四郎政衡
六番
中務大輔満儀〔満義カ〕 蔵人伊豆守重能
下野判官高元 高太郎左衛門尉師顕
加藤左衛門尉 下総四郎高宗(※高家とも)
実在が確かめられる史料として、上記【史料A】にある関東廂番の四番衆の一人に「下野判官高元」と書かれている。この高元は以下に示す二階堂氏の一門と考えて良いだろう。
▲【図B】二階堂氏略系図
この【図B】は『尊卑分脈』*2に基づいたものであるが、同系図の行春の傍注には元の名が「高元」、官途が左衛門尉であった旨の記載が見られる。【史料A】における高元の通称は、父・時元が下野守で、自身が左衛門尉となっていたため、律令制における四等官の第三位である判官(じょう=尉)の職を帯びる者の通称である「判官 (はんがん/ほうがん)」*3を称したものと分かる。
すなわち、建武元年初頭まで初名の「高元」を名乗っていたことになるが、結論から言えばその改名の理由は、「高」が前年(1333年)に滅亡した得宗・北条高時の偏諱であったからに他ならないだろう。
(参考記事)
historyofjapan-henki.hateblo.jp
改めて【図B】を見ると、同族の行佐(ゆきすけ)流では行時が正安3(1301)年8月24日、その子・行憲が正中3(1326)年3月にそれぞれ出家したと書かれているが、各々当時の得宗である北条貞時・高時の出家*4に追随したことは明らかで、その当時の人物であったことの証左となる。特に行憲と同じく行泰の曾孫(行憲のはとこ)にあたる高元(行春)の父・時元もやはり高時に追随して出家しており、行泰から見て代数の同じ者同士はほぼ同世代の人物と扱って良いと思う。
historyofjapan-henki.hateblo.jp
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そのような観点に加え、実際に【図C】のように各人物の生年を推定すると、行泰の玄孫にあたる、行実流の二階堂高実、行憲の子・高憲、そして高元はほぼ同世代人と言え、共通して高時の偏諱「高」を受けていることがその証左になると言えよう。
▲【図C】二階堂氏行泰流の各人物生年の推定
この【図C】は、行泰の息子たちは皆、生年が判明しており、そこから親子の年齢差を20歳としてその子孫の生年を算出したものである。しかし、二階堂時元については【図A】に1326年に出家した時39歳とあるから生年が1288年と分かり、高元(行春)も1308年頃より後の生まれと推定可能である。
前述の【史料A】において高元は判官(=左衛門尉)であったことが窺えるので、その年齢は20代以上であったと考えて良いと思う。当時20歳として逆算すれば遅くとも1315年の生まれとなるから、高元(行春)の生年はおよそ1310年前後で、北条高時執権期間(1316~1326年)*5内に元服して「高」の偏諱を許されたと判断できる。
尚、軍記物語ながら実際の史実をある程度で反映させている『太平記』を見ると、巻23「土岐頼遠参合御幸致狼籍事付雲客下車事」の文中に「二階堂下野判官行春」と書かれており*6、暦応5(1342)年までに改名していたと考えて良いだろう。この記事には、光厳上皇の御幸の列に出会った土岐頼遠と行春(高元)が狼藉を働き、頼遠は斬首、行春は讃岐国に配流となったと記されている。
以後の動向は不明であるが、二階堂駿河入道行春(法名・忻恵)が貞治元/正平17(1362)年から翌年にかけて鎌倉府政所執事を務めたとする史料が確認されており、これを復帰して駿河守となり出家した後の行春(高元)とみなす説もある(下記参考ページ参照)。
(参考ページ)
脚注
*1:『南北朝遺文 関東編 第一巻』(東京堂出版)39号 または『大日本史料』6-1 P.421~423。【論稿】北条高時滅亡後の改名現象 - Henkipedia〔史料A〕も参照。
*2:新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 3 - 国立国会図書館デジタルコレクション。『大日本史料』6-1 P.423。
*3:判官 - Wikipedia より。
*4:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その8-北条貞時 | 日本中世史を楽しむ♪、新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その9-北条高時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)参照。