Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

二階堂行直

二階堂 行直(にかいどう ゆきなお、1311年頃?~1348年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。室町幕府政所執事。初名は二階堂高衡(たかひら)。『尊卑分脈*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡、母は秋田城介・安達時顕の娘。通称は美作次郎左衛門尉、美作大夫判官、山城守。

 

 

生年と烏帽子親の推定

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こちら▲の記事で紹介の通り、父・貞衡については正応4(1291)年生まれと判明しており、現実的な親子の年齢差を考慮すれば、早くとも1311年頃の生まれと推測可能である。

また次の史料に着目したい。 

史料A建武元(1334)年正月付「関東廂番定書写」(『建武(年間)記』)*2

定廂結番事、次第不同、

  番 〔※原文ママ、"一"番脱字カ〕

 ( 略 )

 

二番

 ( 略 )

丹後三郎左衛門尉盛高 三河四郎左衛門尉行冬

 

三番

 ( 略 )

山城左衛門大夫   前隼人正致顕

相馬小次郎高胤

 

四番

 ( 略 )

小野寺遠江権守道親   因幡三郎左衛門尉

遠江七郎左衛門尉時長

 

五番

丹波左近将監範家    尾張守長藤

伊東重左衛門尉祐持    後藤壱岐五郎左衛門尉

美作次郎左衛門尉  丹後四郎政衡

 

六番

中務大輔満儀〔満義カ〕   蔵人伊豆守重能

下野判官      高太郎左衛門尉師顕

加藤左衛門尉       下総四郎高宗(※高家とも)

実在が確かめられる史料として、上記〔史料A〕にある関東廂番の五番衆の一人に高衡の名が記載されている。通称名は、亡父・貞衡の最終官途が「美作守」、その「次郎(本来は「次男」の意)」にして左衛門尉であったことを表すもので、二階堂高衡(行直)に間違いない。そして、左衛門尉に任官できるほどの年齢=若くとも20歳前後に達していたことが窺えるので、やはり1310年代前半には生まれていたと考えて良いだろう。

ところで、『分脈』二階堂行直の傍注には「本高衡」とあって高衡が行直の初名であったことが分かるが、この頃はまだ改名していなかったことが窺える。『分脈』二階堂氏系図によると、高衡のみならず〔史料A〕における太字人物貞・憲・衡・元)は皆、後に「」の字を棄てて改名したという(〔図B〕参照)

 

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こちら▲の記事で言及の通り、彼らが一斉に改名の理由は、「」が前年(1333年)に滅亡した得宗北条偏諱であったからに他ならないだろう。 

特に高衡(行直)の場合、それまでの「行」が代々得宗と烏帽子親子関係を結んでいたことが指摘されており*3、「高衡」の名も時と父・貞の各々1字により構成されたものに間違いない。

前述の通り、高衡(行直)は1310年代前半の生まれと推定されるので、北条高時執権期間(1316~1326年)*4内に元服したことは確実と言って良い衡はそれまでの慣例に従って得宗時を烏帽子親として元服し、その一字を拝領したのであった。

 

 

関連史料の紹介(行直時代) 

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〔史料A〕の後、「行直」の名が確認できるのは、管見の限り『鎌倉大日記』暦応2(1339)年条(下記【史料C】)『武家年代記』興国元/暦応3(1340)年条(下記【史料D】)である*5。1338年、足利尊氏によって開かれた室町幕府でも、鎌倉幕府に倣って政所および政所執事が設けられ、二階堂氏惣領の行直が補任されたのであった。「直」の字は尊氏の執事・高師直(もろなお) または 尊氏の弟・足利直義(ただよし) に関係するのかもしれない。

以下、『大日本史料』や『花押かがみ』*6などによって、高衡改め行直の関連史料を掲げたいと思う。

 

【史料C】『鎌倉大日記』:「政所  暦応二己卯行直山城守、美作入道行恵男、

【史料D】『武家年代記』:「政所  興国元、暦応三山城守行直、」

【史料E】暦応4(1341)年閏4月23日付「政所執事二階堂行直等連署書下」(『大友文書』):発給者の一人「行直」の署名と花押

*以下『石上寺文書』などに収録の書状は、この行直と花押が一致すること、またその官途から二階堂行直に比定される。

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▲二階堂行直の花押

 

【史料F】(興国3/康永元(1342)年12月5日)『天龍寺造営記録』:「小笠原信濃前司貞宗 二階堂参河前司成藤 同美作大夫判官行直 同美濃守行通 同丹後守*7

*「美作」は前述した通り、父・貞衡の最終官途によるもので、「大夫判官」は検非違使庁の尉(三等官、六位相当)で、五位に叙せられた者の呼称である*8。すなわち、この当時も左衛門尉(左衛門少尉)であると同時に検非違使を兼ねていたことが分かる。

 

【史料G】康永元年12月9日付「二階堂行直巻数返事」(『石上寺文書』)

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 伊勢国石上寺恒

 □〔例(恒例)〕歳末御巻数

 入見参候了、仍

 執達如件、

 康永元年十二月九日 左衛門少尉(花押)

 

 ★ この間に山城守任官か。

*山城守は、家祖・二階堂行政*9や祖父・行貞にゆかりのある官職である。

 

【史料H】康永2(1243)年12月8日付「二階堂行直巻数返事」(『石上寺文書』)

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 □〔石〕上寺歳末御巻数

 入見参候了、仍

 執達如件、

 康永二年十二月八日 山城守(花押)

  石上寺別当御房御返事

 

【史料H】康永3(1344)年2月4日付「幕府奉行人連署奉書」(鹿児島『新田神社文書(新田八幡宮文書)』):「山城守」の署名と花押

【史料I】康永3年3月21日付引付番文(白河集古苑 所蔵『結城文書』):五方引付方の交名における二番衆の一人、および 三方内談方の交名に記載の「山城守*10

【史料J】(康永3年5月1日)「六条八幡宮神宝・文書奉納目録」(『醍醐寺文書』):「使者二階堂山城大夫判官行直〔ママ〕*11

【史料K】康永3年12月19日付「二階堂行直巻数返事」(『石上寺文書』)

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 □〔伊〕勢国石上寺御

 巻数入見参候訖、

 □〔仍〕執達如件、

 康永三年十二月十九日 山城守(花押)

  別当御房御返事

 

 ★ この間(1345年)に山城守を辞任か。

 

【史料L】貞和元(1345)年12月5日付「二階堂行直巻数返事」(『清水寺文書』):「山城守」の署名と花押

 

【史料M】貞和4(1348)年正月18日付「幕府奉行人連署巻数返事」(『尊経閣古文書写』):「山城守」の署名と花押

【史料N】『常楽記』貞和4年6月5日条(行直逝去の記事):「貞和四年六月五日、二階堂山城守行  」*12

*「行□〔直〕」以下は、脱字もしくは保存状態により文字が消えてしまったと考えられるが、上記史料と照合すれば行直であることは明らかで、この『常楽記』は死没年月日を記す過去帳であるから、行直の他界を伝える記事とみなして良いだろう。

 

上記のほか、豊臣秀吉の命を受けた山中長俊によって編纂された『中古日本治乱記』*13巻8「持氏渡御於佐介 三浦義高夜討評定事」の文中にも「二階堂山城守行直・舎弟中務少輔行光」とある*14

尚、『鎌倉大日記』康安元(1361)年条において、通称「山城宮内(=父が山城守で自身が「宮内少輔」の意)」と注記される次の政所執事二階堂は、初代将軍・偏諱を受けた、山城守行直(高衡)の嫡男であろう。

 

(参考ページ)

 二階堂行直(にかいどう ゆきなお)とは - コトバンク

南北朝列伝 ー 二階堂行直

『亀山市史』古代中世資料綱文・史料リスト

亀博WEB図録 亀山市内に伝わる中世文書

 

脚注

*1:新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 3 - 国立国会図書館デジタルコレクション『大日本史料』6-1 P.423

*2:南北朝遺文 関東編 第一巻』(東京堂出版)39号 または『大日本史料』6-1 P.421~423【論稿】北条高時滅亡後の改名現象 - Henkipedia〔史料A〕も参照。

*3:紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について ―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』2号、中央史学会、1979年)P.15。

*4:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その9-北条高時 | 日本中世史を楽しむ♪

*5:『大日本史料』6-11 P.575

*6:東京大学史料編纂所編『花押かがみ六・南北朝時代二』(吉川弘文館、2004年)P.8~9 No.3434「二階堂行直」の項。

*7:『大日本史料』6-7 P.429

*8:大夫の判官(タイフノホウガン)とは - コトバンク より。

*9:『日本大百科全書』(ニッポニカ)「二階堂行政」の項(執筆:菊池紳一、コトバンク所収)より。

*10:田中誠「康永三年における室町幕府引付方改編について」(所収:『立命館文學』624号、立命館大学、2012年)P.713(四二五)。 『南北朝遺文』東北編 706号。

*11:『大日本古文書』家わけ第十九 醍醐味文書之十四 P.98(3173号)

*12:『大日本史料』6-11 P.575阪本龍門文庫本『常樂記』

*13:山中長俊(やまなか ながとし)とは - コトバンク より。

*14:『大日本史料』7-25 P.141