Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

常葉重高

北条 重高(ほうじょう しげたか、1312年頃?~1333年5月22日?)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。北条氏一門、常葉流北条範貞の子で、常葉重高とも。通称(輩行名)は三郎(越後三郎 → 駿河三郎?)。 「正宗寺本 北条系図」での記載について 重高の年…

常葉範貞

北条 範貞(ほうじょう のりさだ、1280年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏一門・常葉流北条時範の子で、常葉範貞(ときわ ー)とも呼称される。 詳しい活動内容・経歴については ● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その34-常葉範貞 | …

塩田重貞

北条 重貞(ほうじょう しげさだ、1282年頃?~1333年5月22日?)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。北条重時の子・義政を祖とする塩田流北条時治(時春とも、義政の子)の子で、塩田重貞とも。『尊卑分脈』の北条氏系図上では「式部大夫」と注記される。…

佐介貞俊

北条 貞俊(ほうじょう さだとし)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、歌人。 『尊卑分脈』等の系図類によると、佐介流北条時俊の子であり、佐介貞俊(さすけ ー)とも呼ばれる(『太平記』、後述参照)。 北条貞時の烏帽子子 『太平記』に描かれる貞俊の最期 …

佐介貞資

北条 貞資(ほうじょう さだすけ、1283年頃?~13??年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、歌人。北条氏一門・佐介流の一族で、佐介貞資(さすけ ー)とも呼ばれる。 系図類での記載について 父・佐介時国の流刑とその息子たち 北条貞時の烏帽子子 脚注 系図類…

佐介貞尚

北条 貞尚(ほうじょう さだなお?*1 / さだひさ?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 系図類では、佐介流北条盛房 (1242-1297) *2の子、北条宣房の弟として記載され、佐介貞尚(さすけ ー)とも呼ばれる。父に同じく丹波守・従五位下に昇ったという。 以上『…

北条朝直

北条 朝直(ほうじょう ともなお、1206年~1264年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。北条氏一門で初代連署の北条時房の嫡男(4男)。母は足立遠元の娘。大仏流北条氏の祖で大仏朝直(おさらぎ ー)とも。 論稿としては異例だが、先に結論を…

名越朝時

北条 朝時(ほうじょう ともとき、1194年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の次男。名越流北条氏の祖で名越朝時(なごえ ー)とも呼ばれる。 朝時については『吾妻鏡』に元服の記事がある。 【史料】『吾妻鏡』建永元(…

名越朝貞

北条 朝貞(ほうじょう ともさだ、1287年頃?~1333年)は、 鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人、歌人。名越流北条時基の子で名越朝貞(なごえ ー)、小町朝貞(こまち ー)とも呼ばれる。通称は七郎、中務権大輔(または中務大輔)。 生年と烏帽子…

大仏宗宣

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、1259年~1312年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、北条氏一門。鎌倉幕府第11代執権。 大仏流北条宣時の子で、大仏宗宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。 主な活動内容・人物についての詳細は 北条宗宣 - Wikipedia を参照のこ…

大仏高宣

北条 高宣(ほうじょう たかのぶ、1305年頃?~1328年)は、鎌倉時代末期の北条氏一門。大仏流北条維貞の子で、大仏高宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 以下本稿では、これまで未詳とされてきた高宣の生年や烏帽子親の推定を…

北条貞規

北条 貞規(ほうじょう さだのり、1298年~1319年)は、鎌倉時代後期の御家人、北条氏得宗家一門。第10代執権・北条師時の嫡男。官途は左近大夫将監、右馬権頭。主な通称は相模左近大夫。 まずは、細川重男氏のブログ記事*1による貞規の経歴は次の通りである…

大仏家時

北条 家時(ほうじょう いえとき、1312年~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 鎌倉時代末期に、北条時房系の嫡流・大仏流の当主を務め、大仏家時(おさらぎ ー)とも呼ばれる。父は大仏流北条維貞。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 主な活動内容・…

頼助

頼助(らいじょ、1244年~1296年)は、鎌倉時代の僧。 鎌倉幕府4代執権・北条経時の次男。経時の菩提所である鎌倉佐々目の遺身院を拠点としたので、佐々目頼助とも呼ばれる。 経時の遺児である隆政(りゅうせい)・頼助兄弟については、吉田通子氏の研究*1に詳…

名越宗長

北条 宗長(ほうじょう むねなが、1252年頃?~1309年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏の一門。名越流北条長頼の嫡男で、名越宗長(なごえ ー)とも。主な通称および官途は、備前二郎、備前左近大夫、備前守。 『吾妻鏡』での宗長 宗長の烏帽子親の…

名越長頼

北条 長頼(ほうじょう ながより、1235年頃?~12??年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏一門。名越流北条時長の子で、名越長頼(なごえ ー)とも。 母は三浦義村の娘。金沢流北条実時の娘を妻に迎えた。(いずれも後述参照。) 長頼の父母について 『…

金沢顕時

北条 顕時(ほうじょう あきとき、旧字表記:北條顯時、1248年~1301年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の第3代当主で、金沢顕時(かねさわ ー)とも呼ばれる。初名は北条時方(ときかた、金沢時方)。 ▲北条顕時像…

金沢実時

北条 実時(ほうじょう さねとき、旧字表記:北條實時、1224年~1276年)は、鎌倉時代中期の御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の第2代当主で、金沢実時(かねさわ ー)とも呼ばれる。通称(輩行名)は太郎。 ▲北条実時像(国宝、称名寺所蔵、神奈川県立金…

金沢実泰

北条 実泰(ほうじょう さねやす、旧字表記:北條實泰(實𣳾)、1208年~1263年)は、鎌倉時代前期の御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の祖で、金沢実泰(かねさわ ー)とも呼ばれる。初名は北条実義(さねよし、金沢実義)。通称(輩行名)は五郎。 ▲伝・北…