北条貞時の偏諱
平賀 貞経(ひらが さだつね、1293年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。平賀朝村の嫡男。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、新羅三郎義光流で源氏門葉として源頼朝に重用された平賀義信の次男・平賀朝政の曾孫である。その注記に…
二階堂 貞衡(にかいどう さだひら、1291年~1332年)は、鎌倉時代後期から末期にかえての御家人、鎌倉幕府の政所執事。父は二階堂行貞。官途は左衛門尉、美作守。法名は行恵(ぎょうけい)。 『北条九代記』(『鎌倉年代記』と同内容)に「行恵 美作入道 俗名…
二階堂 行貞(にかいどう ゆきさだ、1269年~1329年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての鎌倉幕府御家人、政所執事。父は二階堂行宗。官途は左衛門尉、信濃守、山城守。通称は丹後次郎、山城入道など。法名は行暁。 生没年と烏帽子親について 関連史料の紹…
二階堂 忠貞(にかいどう たださだ、1280年~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての御家人。通称は左衛門尉、摂津判官、伊勢守(伊勢前司/伊勢入道)。法名は行意(ぎょうい)。 『尊卑分脈』二階堂氏系図(以下『分脈』と略記)によると、父は二階堂盛…
二階堂 光貞(にかいどう みつさだ、1290年頃?~1336年カ)は、鎌倉時代後期の人物。父は二階堂宗実。官途は左衛門尉、下総守。法名は行全(ぎょうぜん)か。 『作者部類』(『勅撰作者部類』)に「頓阿 法師俗名貞宗。二階堂下野守〔ママ〕光貞子」*1、『続群…
二階堂 貞宗(にかいどう さだむね、1289年?~1372年?)は、鎌倉時代後期から室町時代初期にかけての人物。 『作者部類』に「頓阿 法師俗名貞宗。二階堂下野守〔ママ〕光貞子」*1、『続群書類従』所収「工藤二階堂系図」に「光貞 下総守 ― 貞宗 遁世、頓阿」…
二階堂 貞雄(にかいどう さだお / さだたけ、1286年頃?~1333年カ)は、鎌倉時代後期から末期にかけての御家人。父は二階堂政雄(頼綱の弟)、母は二階堂行藤の娘(時藤・貞藤の姉妹にあたる)*1。子に二階堂行雄。通称は三郎兵衛尉、因幡守(因幡入道)。…
北条 貞顕(ほうじょう さだあき、1278年~1333年)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人、北条氏一門。金沢顕時の嫡男。母は遠藤為俊の娘・入殿。金沢流北条氏の第4代当主で、金沢貞顕(かねさわ ー)とも呼ばれる。鎌倉幕府においては第12代連署、第15代…
島津 貞久(しまづ さだひさ、1269年~1363年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。島津忠宗の嫡男で、島津氏第5代当主。薩摩・大隅・日向の守護大名。 通称は三郎左衛門尉、上総介、上総入道など。法名は道鑑(どうかん、表記は道鑒と…
宇都宮 貞綱(うつのみや さだつな、1266年?~1316年)は、鎌倉時代中・後期の武将、御家人。宇都宮氏第8代当主。父は宇都宮景綱、母は安達義景の娘。 はじめに ー 北条貞時からの一字拝領 貞綱の弘安の役参戦について 貞綱の生年について 脚注 はじめに ー …
長井 貞広(ながい さだひろ、1271年~1323年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。通称は長井備前左近大夫。 『尊卑分脈』等の長井氏系図で長井時秀の子、長井宗秀の弟として載せられており、「左将監(=左近将監)」・「従五下(=従五位下)」等の注記も見…
足利 貞氏(あしかが さだうじ、1273年~1331年)は、鎌倉時代後期~末期の武将、鎌倉幕府御家人。足利家時の嫡男で、足利宗家第7代当主 。足利高義・足利尊氏・足利直義の父。通称および官途は 三郎、讃岐守、讃岐入道。法名は義観(ぎかん)。 足利貞氏像(…
小笠原 貞宗(おがさわら さだむね、1292年頃~1347年)は、鎌倉時代後期から室町時代前期の武将。信濃小笠原氏の当主。信濃守護。仮名は彦五郎。官途は信濃守。 ▲『集古十種』に掲載の小笠原貞宗卿 木像(鎌倉禅巨庵蔵) 幼名は豊松丸。今野慶信氏がご紹介…
安東 貞忠(あんどう さだただ、1290年頃?~没年不詳(1330年頃?))は、鎌倉時代後期の武将、得宗被官。 安東貞忠の実在については次の史料で確認ができる。 【史料1】(正中3(1326=嘉暦元)年?)正月17日付「金沢貞顕書状」(『金沢文庫文書』)*1 御吉事…
二階堂 貞綱(にかいどう さだつな、1260年代?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の御家人。 生年の推定 息子・二階堂行朝(行珍)について 貞綱の名乗りについて 脚注 生年の推定 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介した通り、『尊卑分脈』に…
渋川 貞頼(しぶかわ さだより、1280年頃?~1325年頃?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。足利氏一門・渋川氏の第3代当主。 『尊卑分脈』*1によれば、通称は彦三郎、父は渋川義春、母は北条時広の娘「あかはん」(「越前守平時廣女」)と伝わる。源貞頼、足…
佐竹 貞義(さたけ さだよし、1287年~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏第8代当主。 ▲『古押譜』より、佐竹貞義の花押*1 『正宗寺記』など複数の史料・系図類によれば、文和元(1352)年9月10日に66歳で亡くなったといい*2、逆算…
毛利 貞親(もうり さだちか、1280年頃?~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。安芸毛利氏。通称および官途は次郎(『毛利家系図』)*1、右近大夫。法名は朗乗(ろうじょう)。 父は毛利時親。母は長崎泰綱の娘・亀谷局。 生年と烏…
狩野 貞親(かのう さだちか、1280年代?~没年不詳(1333年以後))は、鎌倉時代後期の武士、伊豆・駿河国の御家人。通称は六郎左衛門尉、狩野介、狩野介入道。 ▲【図A】今野慶信氏作成による狩野氏の略系図*1 近年、今野氏が「南家伊東氏藤原姓大系図」*2の…
戸次 貞直(べっき/へつぎ さだなお、1278年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の当主。戸次時親の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1…
工藤 貞祐(くどう さだすけ、1283年?~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。内管領(得宗家執事)も務めた工藤時光(杲禅/杲暁)の嫡男。 父親と烏帽子親について 史料上での工藤貞…
千竈 貞泰(ちかま さだやす、1290年頃?~没年不詳(1334年以後か))は、鎌倉時代後期の武士、御家人、御内人(得宗被官)。千竈時家の嫡男。通称は千竈六郎。 千竈氏は桓武平氏高望流秩父氏の末裔とされ*1、鎌倉時代を通じて、尾張国千竈郷(現・名古屋市…
石川 貞光(いしかわ さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1341年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第14代当主。 【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1 母堂義生朝臣女、 貞光公 称太郎、実通山公之嫡子、故立為世子…
結城 貞広(ゆうき さだひろ、旧字表記:結城貞廣、1289年~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。下総結城氏第5代当主。 父は4代当主・結城時広。母は小山時村の娘*1。子に結城朝高(朝祐)。 historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲【図A】「結城系図」(東京…
安達 貞泰(あだち さだやす、1280年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。 『尊卑分脈』によれば、父は安達宗景、母は紙屋河顕氏の娘。通称は陸奥太郎。 ▲【系図】安達氏略系図*1 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介した通り…
千葉 胤貞(ちば たねさだ、1288年~1336年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 はじめに 生誕と元服 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 千葉宗胤の嫡男。『尊卑分脈』では宗胤の子は「貞胤」となっており、「貞胤」と「胤貞」はと…
伊東 貞祐(いとう さだすけ、1290年頃?~1345年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐宗の嫡男。子に伊東祐持、伊東祐藤、伊東祐将。官途は安芸守。法名は證観 (しょうかん/新字体:証観)。 【史料A】「南家 伊東氏藤原姓大系…
少弐 貞経(しょうに さだつね、1272年~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 「貞経」の名乗りに着目すると、経資―盛経と継承されてきた「経」の字に対し、「貞」が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。 建武3(1336)年に自害…
北条 貞直(ほうじょう さだなお、1290年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条宗泰の子で、大仏 貞直(おさらぎ さだなお)とも呼ばれる。 はじめに 大仏宗泰の子 史料紹介①(陸奥守任官以前) 史料紹介②(陸奥守任官後) 参考ページ …
北条 貞宣(ほうじょう さだのぶ、1285年頃?~1320年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条氏の一族で、大仏 貞宣(おさらぎ さだのぶ)とも呼ばれる。官途は兵庫助、丹波守。 はじめに ー 貞宣の経歴 元服時期の推定 三人の兄 宗宣・宗泰・貞房 甥…