Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条時宗の偏諱

結城時広

結城 時広(ゆうき ときひろ、旧字表記:結城時廣、1267年(1271年とも)~1290年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。下総結城氏第4代当主。 父は結城広綱。母は二階堂行忠の娘*1。 市村高男氏の見解によれば、結城氏第2代当主・朝広の息子の…

安達時長

安達 時長(あだち ときなが、1261年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 安達氏の祖・安達盛長の次男にも同名の人物(安達時長/大曾彌時長)がいるが、本項では下記【系図A】に安達時盛の子として掲載の四郎左…

安達時景

安達 時景(あだち ときかげ、1253年?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 生年の推定 北条時宗の烏帽子子 脚注 生年の推定 ▲【系図A】安達氏略系図*1 historyofjapan-henki.hateblo.jp 系図類によれば、時景は安達義景の末子であり、義景が亡くなる…

大曽祢宗長

大曽祢 宗長(おおそね むねなが、1252年頃?~1285年)は鎌倉時代中期~後期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曽祢氏の第4代当主。呼称は大曾禰宗長(旧字表記)、大曽根宗長とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp historyofjapan-henki…

名越宗基

北条 宗基(ほうじょう むねもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。名越流北条時基の嫡男で名越宗基(なごえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 各々注記の内容に若干の相違はあるものの、こちら▲の記事で紹介した『入来…

安達宗長

安達 宗長(あだち むねなが、1270年頃?~1285年?)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称は九郎。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の弟・安達長景の子について述べる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で父・長景の生年を1250…

安達盛宗 (右衛門尉)

安達 盛宗(あだち もりむね、1273年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の末弟・安達時景の子について述べる。泰盛の子については 安達盛宗 (越前守) - Henkipedia を参照のこと。 historyofjap…

安達盛宗 (越前守)

安達 盛宗(あだち もりむね、1255年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の庶長子。 史料における安達盛宗 越前守任官と生年について 脚注 史料における安達盛宗 ▲【図A】『蒙古襲来絵詞』より 弘安4(1281)年6月の「弘安の役」で、蒙古兵…

安達宗景

安達 宗景(あだち むねかげ、1259年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『関東評定衆伝』弘安4(1281)年条には、引付衆の一人に「城九郎藤原宗景」の記載があり、その注記を見ると、この時23歳だ…

平宗綱

平 宗綱(たいら の むねつな、1260年頃?~没年不詳(1310年頃?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人、執事(内管領)。父は平頼綱。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『とはずがたり』において、作者・後深草院二条が「平左衛門入道と申す者…

飯沼資宗

飯沼 資宗(いいぬま すけむね、1267年~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。内管領(得宗家執事)であった平頼綱の次男。平宗綱の実弟。 historyofjapan-henki.hateblo.jp historyofjapan-henki.hateblo.jp 飯沼資宗 - Wikipedia にて…

千葉胤宗

千葉 胤宗(ちば たねむね、1268年~1312年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第10代当主。 『尊卑分脈』の千葉氏系図では貞胤の父(および先代の千葉介)を宗胤とし*1、「藤井本 千葉系図」には「宗胤 千葉介、始ハ胤宗、贈官也、」とある*2。 他方…

伊東祐宗

伊東 祐宗(いとう すけむね、1265年~1349年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐光の嫡男。子に伊東貞祐、益豪、伊東惟祐、伊東憲祐、伊東祐守、伊東祐範、伊東祐忠。官途は大和守。法名は慈證(じしょう/新字体:慈証)。 北条…

少弐資時

少弐 資時(しょうに すけとき、1263年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。少貳資時(旧字表記)、武藤資時(むとう ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 少弐経資の3男とされる。文永11(1274)年の蒙古襲来(文永の役)に12歳で出陣。弘安4(…

北条宗方

北条 宗方(ほうじょう むねかた、1278年~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門・北条宗頼の次男。母は大友頼泰の娘。官途は右近将監、左近将監、駿河守。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その16…

後藤基宗

後藤 基宗(ごとう もとむね、1262年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 『尊卑分脈』*1によると、父は後藤基頼、母は宇都宮頼業(横田頼業)の娘で、弟に後藤基胤、子に後藤基雄がいたという。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 父・基頼は暦…

大仏宗泰

北条 宗泰(ほうじょう むねやす、生年不詳(1260年代後半か)~1305年?)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。通称は六郎。官途は民部少輔、土佐守。 大仏流北条宣時の子、第11代執権・北条宗宣の弟で、大仏宗泰(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 はじめに 宗泰の…

長井宗秀

長井 宗秀(ながい むねひで、1265年~1327年)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。 父は長井時秀、母は安達義景の娘。大江宗秀(おおえ ー)とも呼ばれる。通称および官途は備前太郎、宮内権大輔、掃部頭。法名は道雄(どうゆう)。 historyofjapan-henki.h…

太田時連

太田 時連(おおた ときつら、1269年~1345年)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚、問注所執事。三善氏の末裔で三善時連(みよし ー)とも呼ばれる*1。 <三善姓太田氏略系図> 康信―康連―康有―時連―貞連―顕行 *『萩藩閥閲録』巻30「椙杜伊織」所収の三善…

葛西宗清

葛西 宗清(かさい むねきよ、1264年頃?~没年不詳(1305年以降))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葛西氏宗家第5代当主。仮名は三郎。官途は左衛門尉、のち壱岐守か。葛西清経の嫡男とされる。 『勘仲記』を見ると、弘安7(1284)年12月9日…

六角宗信

佐々木 宗信(ささき むねのぶ、1267年~1292年(一説に1310年とも))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角宗信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 「徳源院本 佐々木系図」*1の…

京極宗氏

佐々木 宗氏(ささき むねうじ、1269年~1329年)は、鎌倉時代中期から末期にかけての武将、御家人。京極宗氏(きょうごく ー)とも。 上の図に掲げた『尊卑分脈』の佐々木氏系図には、宗氏に関する注記も見られる。 それによれば、嘉暦4(1329)年7月16日に61…

高岡宗泰

高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。佐々木宗泰(ささき ー)とも。 通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 伝えられるところによる…

佐々木宗清

佐々木 宗清(ささき むねきよ、生年不詳(1270年代前半か)~没年不詳(1323年以前か))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。隠岐宗清(おき ー)とも。 烏帽子親と生年の推定 史料における宗清 参考ページ 脚注 烏帽子親と生年の推定 『尊卑分脈』を見ると、…

京極時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、1270年頃?~1286年頃?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木宗綱の嫡子で、京極時綱(きょうごく ー)とも呼ばれる。仮名は又源太か。官途は右衛門尉。 『尊卑分脈』には「右〔または左〕門尉」、…

東時常

東 時常(とう ときつね、1253年?~1312年?/1314年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称は六郎。官途は中務丞(『尊卑分脈』)、左衛門尉。 【東氏系図】『尊卑分脈』より 千葉常胤―東胤頼―重胤―胤行―行氏―時常 父は東行氏。初めは第7…

千葉宗胤

千葉 宗胤(ちば むねたね、1265年~1294年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第9代当主。通称は千葉太郎*1。 はじめに 元服の時期と烏帽子親の推定 備考 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 建治元(1275)年8月、異国警固番役…

小山宗長

小山 宗長(おやま むねなが、1264年頃~1307年?)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は五郎。左衛門尉。父は小山時長、母は宇都宮泰綱の娘。(以上『尊卑分脈』より) 残念ながら、宗長については史料があまり残されておらず、その活動内容は…

大仏宗宣

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、1259年~1312年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、北条氏一門。鎌倉幕府第11代執権。 大仏流北条宣時の子で、大仏宗宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。 主な活動内容・人物についての詳細は 北条宗宣 - Wikipedia を参照のこ…

名越宗長

北条 宗長(ほうじょう むねなが、1252年頃?~1309年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏の一門。名越流北条長頼の嫡男で、名越宗長(なごえ ー)とも。主な通称および官途は、備前二郎、備前左近大夫、備前守。 『吾妻鏡』での宗長 宗長の烏帽子親の…