Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条時宗の偏諱

伊東祐宗

伊東 祐宗(いとう すけむね、1265年~1349年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 北条時宗の烏帽子子 元弘の変における祐宗 再度の家督争いと祐宗の逝去 脚注 北条時宗の烏帽子子 伊東氏については次の系図に詳しい。 【史料A】「南…

少弐資時

少弐 資時(しょうに すけとき、1263年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。少貳資時(旧字表記)、武藤資時(むとう ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 少弐経資の3男とされる。文永11(1274)年の蒙古襲来(文永の役)に12歳で出陣。弘安4(…

北条宗方

北条 宗方(ほうじょう むねかた、1278年~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門・北条宗頼の次男。 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その16-北条宗方 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ、以下職員表と略す)*1によって経…

後藤基宗

後藤 基宗(ごとう もとむね、1262年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 『尊卑分脈』*1によると、父は後藤基頼、母は宇都宮頼業(横田頼業)の娘で、弟に後藤基胤、子に後藤基雄がいたという。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 父・基頼は暦…

大仏宗泰

北条 宗泰(ほうじょう むねやす、生年不詳(1260年代後半か)~1305年?)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。通称は六郎。官途は民部少輔、土佐守。 大仏流北条宣時の子、第11代執権・北条宗宣の弟で、大仏宗泰(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 はじめに 宗泰の…

長井宗秀

長井 宗秀(ながい むねひで、1265年~1327年)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。 父は長井時秀、母は安達義景の娘。大江宗秀(おおえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『常楽記』嘉暦2(1327)年条を見ると次の記載が見られる。 「十…

太田時連

太田 時連(おおた ときつら、1269年~1345年)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚、問注所執事。三善氏の末裔で三善時連(みよし ー)とも呼ばれる*1。 <三善姓太田氏略系図> 康信―康連―康有―時連―貞連―顕行 *『萩藩閥閲録』巻30「椙杜伊織」所収の三善…

葛西宗清

葛西 宗清(かさい むねきよ、1264年頃?~没年不詳(1305年以降))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葛西氏宗家第5代当主。父は葛西清経。 『勘仲記』を見ると、弘安7(1284)年12月9日、新日吉の小五月会で七番の流鏑馬が行われた際に三番手…

六角宗信

佐々木 宗信(ささき むねのぶ、1267年~1292年(一説に1310年とも))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角宗信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 「徳源院本 佐々木系図」*1の…

京極宗氏

佐々木 宗氏(ささき むねうじ、1269年~1329年)は、鎌倉時代中期から末期にかけての武将、御家人。京極宗氏(きょうごく ー)とも。 上の図に掲げた『尊卑分脈』の佐々木氏系図には、宗氏に関する注記も見られる。 それによれば、嘉暦4(1329)年7月16日に61…

高岡宗泰

高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。佐々木宗泰(ささき ー)とも。 通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 伝えられるところによる…

佐々木宗清

佐々木 宗清(ささき むねきよ、生年不詳(1270年代前半か)~没年不詳(1323年以前か))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。隠岐宗清(おき ー)とも。 烏帽子親と生年の推定 史料における宗清 参考ページ 脚注 烏帽子親と生年の推定 『尊卑分脈』を見ると、…

京極時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、生年不詳(1270年代前半?)~没年不詳(1290年頃?))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木氏の嫡子で、京極時綱(きょうごく ー)とも呼ばれる。 『尊卑分脈』には「右〔または左〕門尉」、「先父…

東時常

東 時常(とう ときつね、1253年?~1312年?/1314年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称は六郎。官途は中務丞(『尊卑分脈』)、左衛門尉。 【東氏系図】『尊卑分脈』より 千葉常胤―東胤頼―重胤―胤行―行氏―時常 父は東行氏。初めは第7…

千葉宗胤

千葉 宗胤(ちば むねたね、1265年~1294年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第9代当主。通称は千葉太郎*1。 はじめに 元服の時期と烏帽子親の推定 備考 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 建治元(1275)年8月、異国警固番役…

小山宗長

小山 宗長(おやま むねなが、1264年頃~1307年?)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は五郎。左衛門尉。父は小山時長、母は宇都宮泰綱の娘。(以上『尊卑分脈』より) 残念ながら、宗長については史料があまり残されておらず、その活動内容は…

大仏宗宣

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、1259年~1312年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、北条氏一門。鎌倉幕府第11代執権。 大仏流北条宣時の子で、大仏宗宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。 主な活動内容・人物についての詳細は 北条宗宣 - Wikipedia を参照のこ…

名越宗長

北条 宗長(ほうじょう むねなが、1252年頃?~1309年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏の一門。名越流北条長頼の嫡男で、名越宗長(なごえ ー)とも。 『吾妻鏡』での宗長 宗長の烏帽子親の推定 史料における宗長 参考外部リンク 脚注 『吾妻鏡』で…

金沢顕時

北条 顕時(ほうじょう あきとき、旧字表記:北條顯時、1248年~1301年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての御家人、北条氏の一門。金沢流北条氏の第3代当主で、金沢顕時(かねさわ ー)とも呼ばれる。初名は北条時方(ときかた、金沢時方)。 ▲北条顕時像…

河越宗重

河越 宗重(かわごえ むねしげ、1271年~1323年)は、 鎌倉時代後期の武将。鎌倉幕府御家人。 紺戸淳氏の論文*1によると、『続群書類従』所収「千葉上総系図」*2の宗重の注記に「出羽守」と書かれており、『常楽記』元亨3(1323)年6月13日条に「河越出羽入道…

二階堂時藤

二階堂 時藤(にかいどう ときふじ、1267年頃?~1352年?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。法名は道存(どうぞん)。 父は二階堂行藤。子に二階堂有藤(ありふじ、甥で養子、弟・貞藤の子)、女子、二階堂成藤(なりふじ、養嗣子、一族・荻薗盛行の子)、二階…

大友親時

大友 親時(おおとも ちかとき、1248年?~1295年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 親時に関する史料(書状類)の紹介 因幡守在任から辞任まで 親時の生没年と世代推定について 親時の烏帽子親 脚注 親時に関する史料(書状類)の紹介 因幡守在任から辞任…

安達宗顕

安達 宗顕(あだち むねあき、1265年~1285年)は、鎌倉時代の武将、御家人。 人物概要 宗顕の元服と北条時宗 息子・時顕の誕生と成長 脚注 人物概要 ▲【図1】『尊卑分脈』〈国史大系本〉より、安達氏顕盛流の系図 安達顕盛(1245~1280年、加賀守)の子、輩…

【特集】得宗被官・長崎氏

今月主体的に扱ったのは、鎌倉時代後期に御内人(得宗被官)の筆頭格として著名な長崎氏である。 その中でも北条高時政権期に安達時顕と双璧を成す形で事実上の最高権力者であった長崎円喜(えんき)は、北条時宗の死後、その子・貞時の内管領として安達泰盛一…

名越宗教

北条 宗教(ほうじょう むねのり、1255年頃?~ 1333年?)は、鎌倉時代の武将。 北条泰時の弟・名越朝時を祖とする名越流の一門であり、名越宗教とも呼ばれる。父は名越教時(北条教時:朝時の六男)。 [目次] 北条時宗の烏帽子子 二月騒動 ~教時流の粛清…